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シャワーの話

こんばんは、やってるかい?

すまないね、こんな遅くに…まだ大丈夫かい。

なに、ポケモンGoをやってたから平気?あはは、そういえば今日リリースだったね。いやもう昨日か。確かに夜中の方がアクセスが少ないからサーバーもダウンせず、快適にできるだろうね。日中は重くて重くて、3匹捕まえるのでやっとだったよ。それで最初のポケモンは何にしたんだい?こっちはヒトカゲにしたよ。当時やってたのも赤版だったからね。

っと、ポケモンGoの話をしにきたんじゃないんだよ。久しぶりな上にこんな夜遅くにわざわざ来るほどの用だからね。いや、やっぱりそんな大した用じゃないかもしれない。まぁとにかく、誰かに話したかったんだ。聞いてくれるかい。

何の話かって言うとね、シャワーのことなんだ。

シャワーがどうした、って思うだろう。シャワーが出ないとか、水しか出ないとかそういう話、ではないんだ。余計に何の話かわからないかな。実はね、シャワーが熱すぎるんだ。

そんなに笑わないでくれよ。きっと聡明な君のことだから「単純なことだよワトソンくん、湯沸かし器のボタンをいじって給湯温度を下げればいいのさ」と言うだろうけど、あいにく僕の頭蓋骨にだって脳みそが入っているのさ。もちろん給湯温度を下げた。それで、最初の日は大丈夫だった。

ところが、だよ。また2,3日もするとシャワーが熱くてたまらなくなってきたんだ。なぁ、シャワーを浴びる時ってどうしてる?シャワーでお湯を出すとき、出初めはまだ水で冷たいだろう。それで手で温度を確かめながら、浴びても飛び上がらなくて済むな、と思ったら浴び始める。そうだろう、一緒だ。それで今まで大丈夫だったんだが、最近は浴び始めてからもどんどん熱くなりやがるんだ。我慢ができるぎりぎりくらいまで上がって、そこで落ち着くんだが、こんな夏の暑い時さ、そんなアッツ熱のシャワーなんて浴びたくない。それに我慢できると言ったって、1分も2分も我慢するのは厳しい、くらいの本当にぎりぎりの熱さなんだ。おかしいだろう?

最初はね、「いやいや、ついこの前に給湯温度を下げたばっかりだぞ?また温度を下げるわけにはいかないだろう」と思って我慢しつつ浴びていた。でもやっぱりおかしいんだ。こんなに熱いはずがない。それに、熱いのを我慢して浴びててガス代を余計に使ってるんだ、なんて考えたらムカついてきてね、また給湯温度を下げてやったのさ。

熱いから給湯温度を下げただけの話をしに来たんじゃないぜ?最初に下げた時に気が付くべきだったんだけど、もともとが41℃で、そこから2℃下げたから39℃だったんだ。もうおかしいってわかるよね。39℃がそんなに熱く感じるはずがないんだ。だって体温より3℃しか違わないってのに。インフルエンザに罹ったらそのくらい出るだろ?そしてさらに、そこから2℃下げたんだ。二回目に温度を下げた時、37℃になってたわけだ。37℃って言ったら、平熱が高めの人だったら十分あり得るような温度だ。そんな温度のお湯が熱いはずがない。でも耐えられないくらい熱かった。もう一回下げようと思ったんだけどね、37℃より下には設定できないんだ。こんなに熱いってのに!

 

だからね、給湯器を使って設定温度を下げるんじゃだめなんだよ。もうこれ以上は下がらないんだから。何か違う方法を考えなきゃならない。

そもそもなんでこんなに熱いのかを考えたんだけどね。大きく三つの可能性がありそうなんだ。

1つは給湯器が壊れてるってこと。設定温度はモニター上では変わるけど、大元では全く変わってないから相変わらず41℃とかのお湯が出続けてるって可能性だ。

2つは、この暑さのせいで給湯前の水が温まってるから、ってこと。もし給湯器の温度設定の方法が、水の常温から○○℃上げます、というように加熱しているんだとしたら、加熱前の水が温まっていたらその分熱いお湯が完成してしまうんじゃないかということだ。

3つは、実はお湯の温度は正しいんじゃないかってこと。お湯はちゃんと37℃になっているんだけど、どんどん自分の体温が下がっているせいでシャワーが相対的に熱く感じられてしまうんじゃないかと。

 

1つめの給湯器の故障についてなんだけどね。これは正直調べようがない。残念ながら機械の専門家ではなかったし、給湯器の会社の人を呼べばいいんだろうけど、給湯器には特に何にも書いてなかったから、どこの誰を呼んだらいいかわからなかった。だからこれは保留。

2つめのことなんだけどね、今日とかはちょっと涼しかっただろう。だからシャワーも冷たくなったか、というと全然そんなことはなかった。あいかわらず熱いままだ。だから多分違うんだろう。

3つめなんだが、手っ取り早いところで体温計があったから自分の体温を測ってみることにした。するとびっくりなんだけどね、測れないんだ。「L」の表示になっちまう。34℃を切らないとLにならないはずだから、これはつまり、知らず知らずのうちに体温が34℃を下回っていたってことなんだ。体温が34℃以下だったら、そりゃあ37℃のシャワーだって熱く感じるだろうさ。

要するに、「シャワーが熱いと思っていたらいつの間にか自分が超低体温になっていた」っていう話なんだ。信じられないって顔してるね。言いたいことはわかるぜ。君の知っての通り、人間は34℃を下回るような低体温じゃ死んじまう。死ななくたって意識はなくなる。だから体温計はそんな下の温度は測れないようになってる。ということは?

死んでる、ってわけじゃないみたいだ。現にこうして喋れているしね。どうやらね、カエルになってるらしいんだ。そう、カエルは変温動物だからね、調子乗ってエアコンを25℃設定で回しているとあっという間に体温も25℃にまっしぐらってわけ。グレゴール・ザムザもびっくりだよ。でもこっちはカエルだからね、まだ脊椎動物なだけましさ。

こんな深夜に突飛な話をして悪かったね。信じられないだろうが、別にそれでいいんだ、こっちも誰かに話したかっただけなんだから。じゃあ俺は帰るから、ポケモンGoの続きをやるにしても気を付けてな。

そうそう、うちのシャワー室にニョロボンが出るから、良かったら今度捕まえにおいでよ。

3単語からねつ造する話

プラトニックラブ、という言葉がある。エロいことなしで純潔に愛し合いましょうね、みたいなやつだけど、かの有名な哲学者であるプラトンからその名前は来ているという(有名ですよね?)。じゃあプラトンはエロいこと一切しなかったのか、そんなことないと思うのだけど念のため調べてみたらプラトン自身は別に純潔ではなかったらしい。プラトンの著作が後に解釈され、美のイデアが、だったら精神的な愛が、禁欲的な愛が、みたいな方向に変わっていったみたいだ。

さて、この精神的・禁欲的な愛、プラトニックラブは人間だけがするものだと思いますか?思いますよね普通。ここにあるのは純粋な愛だけ、みたいなサルをみたことがありますか。絶対に盛りがつくことのない動物、それは多分去勢されているだけではないか。本能的な三大欲求、食欲・性欲・睡眠欲の一角を担う性欲を抑えて精神的なものへと昇華させることができるのは高次的な動物である我々人類だけである。そう考えるのが普通だし、自分も今までそう思っていました。

ところが。

 

みなさんアヒル、知ってますか。そうです、あのがーがー鳴くアヒルです。女子大生が自撮りするときにこぞってやるアヒル口のいわば元祖とも言える存在です。あのアヒルが、実はプラトニックラブな状態になっていることがある、というのです。もちろんすべてのアヒルがそうだというわけではありません。もし全てのアヒルがプラトニックなのだったら、そしてプラトニックであることがより高次な精神を持つことの証明だとしたら、大多数のエロいことが大好きな我々人類はアヒル以下の精神構造を持つことになってしまいます。そんなことはないのでご安心を。ご安心を、といわれても、一部だとしてもプラトニックなアヒルがいることに衝撃を受けるのではないでしょうか。そもそも、アヒルのプラトニックラブってどんな状態だ。

 

アヒルのプラトニックラブについての報告は動物実験から生まれたようです。と言っても変な薬を飲ませて死なないかどうか見る、というものではなく、動物の繁殖とか健康な飼育のためにその動物に向いている栄養を探す、というタイプの実験です。魚とか肉とか、草食だったらリンゴとか干し草とかありきたりなよくある食べ物から、100歳のお年寄りとかが「これで長生きしました!」とか言って食べていそうな健康食品たち(ニンニク、黒酢、そういうタイプのキノコなど)までこれでもかというくらいの種類の食べ物を与えて試したとのこと。その結果として、健康な飼育とは直接の関係はないのだけど副産物的にわかったのが今回のプラトニックダック。

アヒルにとあるものを食べさせた結果、なんとプラトニックダックになったというのです。メスにアピールはすごいするのだけど交尾には至らない。でもアピールはする。メスが寄ってくる。でもそこまで。その先はしない。一緒にはいる。その様子を見て飼育員は気づいたのです。「あれっていわゆるプラトニックラブってやつでは?」

これが本当にプラトニックラブなのかはアヒルが喋れるようになるまでわかりませんが、このような変化を生んだ食べ物とは一体なんだったのか?

それがコーヒーだったそうなのです。飲み物じゃん、という話は一旦おいておいて、コーヒーを毎日与え続けたアヒルはアピールすれども交尾せず、というプラトニック状態になったとのこと。単にメスに興味がなくなっただけではなく、アピールまではするのでプラトニックなんだそうです。詳しくは元情報を探してみてください。「アヒル プラトニック」とかで検索すると見つかると思います。

 

さてプラトニックラブをコーヒーの力で引き出すことが(少なくともアヒルにおいては)できるということが明らかになったわけですが、ここから発展して人間においてもコーヒーが全く影響ないとは言えないかもしれない、ということが話題になりました。人間においても同じ影響があるのかは次なる研究を待たねばなりませんが、もし本当にコーヒーが人間においてもプラトニックパワーを発揮するのであれば「行きつけの喫茶店のバイトの子が気になって・・・」から始まる恋がいまいち上手くいかないのも実はコーヒーの影響があったりするのかもわからないですね。「プラトニックラブであれば、毎日こうして一言二言交わすだけでも幸せなんだ・・・」という遠慮が原因だったり。ただ度胸がないだけ、と言われればそれまでですがね。

 

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「コーヒー アヒル プラトニック」の3単語からねつ造した全くのでたらめでした。

適当な3つの単語からそれっぽい話を作るシリーズです。

コミティアに行った話

めちゃめちゃ久しぶりになりましたが、タイトルの通りです。

コミティアに行きました。

コミティアが何なのかは各自調べていただくとして、そこはめちゃめちゃ人がたくさんいてみんなが何かしらを作って「さぁ見てくれ!買ってくれ!」という創作意欲の具現化した空間、みたいになっていました。

今回はTwitterでフォローしてた方が出していた本を3冊ばかし買わせていただき。どれも素晴らしい出来でもう唸るばかり。ここで文才がちょっとでもあれば、どこがどう素晴らしく、どの文章が何を表現していて、どの描写がいかに心を震わせたか、とか書けるんですがあいにく持ち合わせがありません。東急ハンズで売ってなかったので。東急ハンズで買える範囲の才能しかない。

 

なのでその内容についてはここでは触れません。でもその具現化した創作意欲に当てられて、「自分も何か作ったりしたいなぁ」とか思ったりしてしまった、そして「そういえばブログなんてあったなぁ」と思って掘り起こしてきたのです。

まだ毎日誰かしらのプレビューが付いていることに驚いた。何か月も更新してないのに。いや、本当のところは「まぁ検索とかで引っかかったりして一日2,3件くらいはあるんちゃうかな」と思っていたのだけど、1日2,30件とかついてたのは流石に予想外であった。もっと廃墟になってると思っていた。

 

最初にブログを始めたきっかけも、他の人の面白い文章を読んで「おれも書いてやるぞ」と思ってのことだったのだけど、書いているうちにじりじりと違う方向性に流れていくなぁと感じていて。ごはんに「ありがとう」というネタの話とかねぇ、書いてるときはそれはそれで面白かったんだけどあれはもう完全にFacebookみたいなネタじゃないか。もともとの気質があんまり創作寄りではなかったのだろうけど。そして「違うなぁ」感の高まりと「もっと他のことやってた方が効率(何の?)が良いのでは」という思いが混ざり合ってなんとなく書かなくなっていました。結局、もうちょっとない文才をひねって言い回しを工夫したり、楽しく読めるような創作寄りのものを書きたかったはずなのになぁ、と思いながら方向性がずれてきてしまったブログをインターネットの海に沈めることにしたのでした。

 

でもコミティアで最高の作品に触れてしまって、またちょっと欲がでてきてしまった。自分も何か作ったりしたい。ドン・キホーテで買える程度の才能しかないので、同じ方向で勝負する時点で間違いなんでしょうけどそれでも、ただ消費するだけの側にはなりたくないなどと贅沢なことを思ってしまいました。生み出すことがどれだけ大変か。

 

なのでまたちょっとだけ、ブログを書くかもしれません。100円ショップで5個セットみたいな創作意欲なので、またすぐ止まるでしょうが。

メリークリスマスの話

12月25日。なんの日ですか?予定はありますか。

世間ではクリスマスとか言ってるそうですね。メリークリスマス!なんて言っちゃってね。僕は12月25日と言われても、「あぁ、この間買った食パンの賞味期限だったな」としか思いません。楽しげなメリークリスマスの言葉を聞きながら、食パンの賞味期限を思い出す。なんと非対称な光景だろうか!

しかし、実はこっちの方が本来のメリークリスマスの意味からすると近いということはご存じでしょうか。意外と知らない人も多いかもしれません。メリークリスマスという言葉自体はクリスマスとは何の関係も、本当はないんです。


メリークリスマスの歴史自体は実はそんなに古くなく、19世紀ほどからになります。

当時ライ麦パンが主流だったイギリスにおいて、初めて今のような白い食パンを売り始めたのがクリスさんという人でした。固めであったライ麦パンに対してふわふわで柔らかく、真っ白な食パンは瞬く間に話題となり、クリスの白い食パンはイギリス中で大ヒットになります。あまりの人気に焼きあがったパンは即完売、常にお店の前には食パンが焼きあがるのを待つお客さんが並ぶようになりました。

でもパンが焼きあがるにはそれなりの時間がかかります。その間ひたすら待っていてもらうのも申し訳ないなぁ、と考えたクリスは、食パンが焼きあがると曲を掛けてお客さんに知らせるようになりました。いつものあの曲が流れたということは食パンが焼きあがったということだ!いつもの曲が流れだしたのをきっかけに、町中のお客さんがクリスの店へと集まってくる、というわけです。その様がさながら行進のように見えるので、いつしか焼き上がりの曲は「クリスのマーチ」と呼ばれるようになりました。

そんな伝統が続いたパン屋の二代目がメリー。メリーはクリスの娘でしたが、パン焼きに忙しかったクリスに代わってパン屋の常連客であるおばちゃん連中に面倒をみてもらっていました。おばちゃん連中のおしゃべりの中育ったメリーもやっぱりおしゃべりが大好き。クリスの後を継いでパン屋の二代目になってからも、待っているお客さん相手に延々と世間話をしていました。あまりに話し好きなものだから、食パンの焼き上がりを忘れてしまうくらい。その頃には店も大きくなっていたから、メリーがうっかりしていても他の店員がちゃんとクリスのマーチを流してくれるのだけど、それにすら気が付かないでおしゃべりをしているメリー。それでおしゃべりをしていたお客が言うわけです。「メリー、クリスのマーチが鳴ってるよ!パンが待ってる!」


このパン屋の常連客に、イギリスでは有名な劇作家がいました。彼はメリーのおしゃべりが大好きだったし、おしゃべりからヒントを得て劇を作ったりもしていました。そんな彼がある時作ったのが「メリーのパン屋」という劇。有名な劇作家が脚本を作り、当時の大人気のパン屋がモデルになったということもありますが、メリーのおしゃべりと常連客のコミカルな掛け合いが本当に面白く、イギリス中で大ヒットをします。劇中のセリフにももちろん採用された「メリー、クリスのマーチが鳴ってるよ!パンが待ってる!」は当時の流行語になり、イギリス中のパン屋で「メリー、クリスマーチ!」と焼き上がりを知らせるようになるのです。いつしかこの言葉は焼き上がりだけでなく、パンが待ってる状況(おいあんた、まだ食べ終わってないのかい!パンが待ってるよ!とか)にも使われるようになり、次第に食パンの賞味期限に対しても使われるようになって行きました。

「メリー、クリスマーチ!」というフレーズはそのうちケーキに対しても使われるようになりました。この先、この言葉が「メリークリスマス!」に変わるまでの過程には所説あるのですが、一つには、イギリスからアメリカを伝わり日本に来る過程で訛ったり変わったりしてメリークリスマスになったという説。もう一つは12月25日にもケーキを食べる時に「早く食べようぜ!ケーキが待ってる!」という意味でメリー、クリスマーチ!と言っていたのだけれどクリスマーチとクリスマスが似ていることから掛詞のように使われ始めた、という説です。

どちらの説が正しいにしろ、メリークリスマスという言葉を聞いて食パンの賞味期限を思い出すのは言葉の由来からすると何も間違ってはいないわけです!

 

まぁ、モチのロンですが、そんなわけないですね。上に書いたことは最初から最後まで全部嘘です。そんなパン屋はない!食パンの賞味期限以外の予定が何もないからってでっち上げた嘘だ!だからってそんな、かわいそうなものを見る目をするな!解散!解散!ここは動物園じゃないんだ!見世物じゃないんだぞ、ちくしょう!メリークリスマス!

クラシックの話

たまたまオーケストラを観る機会があった。

父から「オーケストラに興味ないか?NHK交響楽団の公演があるのだが」というメールが届いた。自分としてはオーケストラとかのクラシックはやや苦手意識があるというか、作曲家とか音楽分類の知識がなければ理解できないと思っているので、「自分のような知識のない若造が見てもわからんのではないか、せっかくの立派なオーケストラの価値がうんぬん」などと考えてしまう。それでも「予定空いてるので行きます」と返信をした。父と最近会っていないし、もしかするとこれは父なりの親子コミュニケーションの取り方かもしれない。自分がクラシックがわからなくても父は知ってるだろうから聞けばいいや。それに、経験を積まなければいつまで経ってもわからないままであろう。そう考えての返信だったのだけれど、後日郵送でチケットが届いたときに勘違いをしていたことを知った。

「忘年会でいけないので代わりに行ってください」

一人でした。親子コミュニケーションではなかった。わからないなりに経験を積む、という目的だけが残ったよ。一緒に入っていた手紙には「マーラーは巨人とか4番5番がポピュラーですが3番はどんなのかよく知りません」とのこと。残念ながら巨人も4番も5番も知らない。聞いたらわかるパターンもあるかもしれないけど、名前がわからない。わかる人になりたい。「マーラーは5番の第2楽章が一番好きだね」とか言いたい。クラシックをちゃんと知っている人からしたらちゃんと勉強しなさい、と言ったところじゃないだろうか・・・

 

結局、当日まで勉強など全くせずに行くことになった、どころか開演1時間前くらいに公演のことを思い出した。忘れずにちゃんと行ったことだけは褒めて欲しい。

オーケストラとか吹奏楽団もそうだけど、公演のパンフレットに曲の紹介が丁寧にされていることがほとんどだ。今回ももちろん、ちゃんとした説明があるのだけど案の定もわっとしかわからない。全部理解できたことは一度もないかもしれない。

「人の手の入らぬ自然そのもののように野放図に展開する独創的なソナタ楽章。葬送行進曲風の重苦しい冬の主題群(ニ短調)と足取り軽やかな軍楽隊の奏でる夏の行進曲(ヘ長調)が3度にわたって交替する。」

「壮麗なアダージョ主題は第1楽章冒頭主題の変形だが、特筆すべきは第1楽章の小結尾主題や第4楽章の『世界の嘆きは深い!』という旋律線に由来する苦痛の主題と呼ぶべきものが登場していることだ」

 当日のパンフより。クラシックに詳しくなるとわかるんだろうか・・・?わかるんだろうな。上が第1楽章の説明の一部なのだけど、とりあえず重苦しい部分と明るく軽快な部分が3回交替するということはわかった。

公演が始まってみると、オーケストラの一番後ろに合唱団が控えていた。ざっと100人くらいだろうか?パンフを見ると、なるほど、第4楽章と第5楽章だけ歌詞があるらしい。合唱団が歌うのはそのうち第5楽章だけ。「声楽を動員しながら最終楽章に使わないという大胆なアイディア」などと書かれているけど、動員された側はたまったものじゃないんじゃなかろうか。結局第5楽章だけやたら短かったので10分くらいしか出番がなかったように思う。他の時間は座ったまま身じろぎもせずに待機しつづけていた。

 

2時間の公演が終わって、良いものを聞いたなあ、という感想にはなるのだけど、残念ながら知識が足りないと語る言葉もないので全然他の表現ができない。「あそこが良かった」みたいに思うことはあっても、その場所をなんと表現したらいいかわからない。ダサい・・・のに加えて、こっちの方が問題じゃないかと思うけど、折角聞いた曲が記憶に全然残らないのだ。

思うに、オーケストラの音というのは複雑で、正しいかわからないけど「言葉らしくない」ように感じる。ポップとかロックとか、歌詞がないインスト曲であっても、それらは「言語として」保存できている気がする。日本語で聞いた言葉であれば記憶に残るし再現もある程度できるのだけど、外国語で話されると音としては聞き取れて一時的には記憶できたとしてもすぐに抜け落ちてしまうというか。「隣の客はよく柿食う客だ」だと記憶できても「Der folgende Besucher ist gut, und eine Dattelpflaume ist ein Besucher des Misserfolgs」だと理解はおろか記憶することすら叶わない、という感じだと思う。

 

とりあえず、クラシックを理解して今後「マーラーは5番の第2楽章が一番いいよね」とか言えるようになるためには少なくとも用語を理解する必要があるはずだ。なのでまずはパンフに載っていた用語を全部調べるよ。

・・・と思って実際に調べつつ途中まで書いていたのだけど、これは奥が深すぎますね。用語の解説に別な用語が出てきて、その用語を調べるとまた次の・・・といった感じでいつまで経っても知らないといけない単語が減らない。教科書とかないと無理なんじゃないだろうか。しかしよっぽどの興味とやる気がないと教科書で勉強なんてできないだろうし。

まず用語を理解してから聞こう、というのは難しそうなのでむしろある程度いろいろと聞いてから遡る形で用語を理解していくのが正しいのかもしれない。まずはマーラーの5番を聞くところから始めることにします。

コンロの話

ずーっと前のことだけども、「コンロが強火にしかならない」「弱火にしようとすると火が消える」「しかもセンサーのせいか勝手なタイミングで強火になったり弱火になったりはする」という話を書いた。

nekodaisei.hatenablog.com

このブログを初めて二日目に書いたやつだ。ここで「コンロの説明書が見つかったら火力調節のページを読みたい」と書いていた。このコンロを使い始めて4か月の時点である。未だにこのコンロ、強火で点火された後につまみを回していくと弱火になることなく火が消える。点火を1、消火を0とするとその間が全くない。0か1かしかないようなこんな飛び飛びの値をとるものを「デジタル」と表現します。

デジタル英語: digital, 英語発音:[ˈdiʤətl]。ディジタル)量とは、離散量(とびとびの値しかない量)のこと

Wikipediaより。つまりこのコンロはデジタル家電だ!やった!おそらく世界で一番不便なデジタル家電じゃなかろうか。

 

ここで、先日のエアコンが壊れた話にいったん戻ります。エアコンが壊れた話を書いた直後から急激に気温が低下。「まぁエアコンなくてもなんとかなるやろ」と思っていたのが深刻な体調不良の予感が漂ってきた。部屋で暖を取る方法が布団にもぐるしかない。発熱する製品がドライヤー、アイロン、コンロくらいしかない。「寒いからアイロン掛けでもするか」という発想がナチュラルに出てきてまでになってきたころ、とうとう奥の手としてのお風呂を解禁することにした。もちろん今まで体中に垢を貯めこんできたとかそういう意味ではなく、シャワーだけで済ませる欧米スタイルから湯船に熱いお湯を貯めて自ら進んでゆだりにいく江戸っ子スタイルへと変更を余儀なくされた、というだけの話だ。

しかしここにも一枚の壁が立ちはだかる。お風呂の自動湯沸かし器にも、説明書がなかったのだ。Yahoo!知恵袋にも似たような質問があふれていたので、恐らくどこの賃貸アパートも同じような状況なんじゃないかと思うのだけど、引っ越した時に最初から備え付けられていたものというのはかなりの確率で説明書がない。説明書なんかなくても操作できるものがほとんどだからだろう。「ふろ自動」と書いてあるボタンを押せば風呂が自動で湯張りされて熱々のお湯がたまるはずだ。はずだ・・・よね?でもこのボタンを押すことをためらわせることがあったのだ。

 

引っ越した直後のガス点検の時のこと。まだほとんど何もない部屋でガス会社をTwitterなんかを見ながら待っていると、そろそろ若手とは呼べなくなってきた感のあるお兄さんがやってきた。コンロの点検(火が付くかどうかだけだったので、強火にしかならない仕様には気が付かなかった!)と蛇口からお湯がちゃんと出ることを確認して、お風呂の点検へ。「ふろ自動」のボタンを押すと、ちゃんとお湯が出るかどうか確認してくださいね、とのこと。お湯、ちゃんと出ました。その後、屋外の計器を確認して戻ってきたお兄さんが、妙な発言をした。

「あれ、このボタンは追い炊き用みたいですね、たぶん」

確かに手に持っていた紙には何らかの異常を示す文言があった。まぁ追い炊き用だからでしょう、という。そして、点検で問題ありませんでした、という内容の証明書かなんかを出して、お兄さんは帰って行きました。

 

追い炊き用???「ふろ自動」なのに???お湯を張るところまでは手動なの???と今にして思えばおかしいことはわかるんですが、その時は「そんなもんなのかな」と納得してしまったのです。だから、説明書が必要だった。追い炊きじゃなくて、自動で湯張りをするにはどうしたらいいのか?

ということで家中の、説明書が埋まっていそうな場所を漁りまくっていたのが先々週のこと。漁った結果、お風呂の説明書ではなくてコンロの説明書が見つかったのだ。やっとコンロの話に戻ってきた。コンロの説明書がついに見つかったということは、見るべきは一つだけ。火力調節は可能なのか?

はたして、説明書には火力の調節方法が書かれていた。実にシンプル。

 

点火した後、つまみをゆっくり戻しましょう。弱火になります。

 

ならないよ。

ならないんだよね、それだと。

念のため、つまみをひねってみたけどやっぱり火は消えてしまった。

もう一度説明書を見返すけど、それだけ。

故障かな?と思って「故障かな?と思ったら」のページも見たけど、そんな症状はない。なんだこれは。とりあえず、仕様だと思っていた「強火にしかなりません、つまみを回すと火が消えます」というのは全くもって仕様ではないということだけはわかった。当たり前だ。弱火に出来ないコンロとか誰が使うんだ。

結局、説明書は見つかったけど「デジタル」コンロはそのままになってしまった。一方でお風呂の説明書は見つからなかったけど、ダメ元で「ふろ自動」ボタンを押してみたらあっさりと何の問題もなく湯張りされた。もう自分しか信じられなくない?

エアコンがついた話

先日、エアコンが壊れた話を書きました。

nekodaisei.hatenablog.com

そして、3日前の土曜日、やっと新しいエアコンが取り付けられました。ふーん、で終わらせていただいてもいいんですけど、ちょっとおかしいと思いません?エアコンが壊れていたのに気づいて、管理会社に電話をしたのが11月20日。実際にエアコンが交換されたのが12月5日。実に2週間以上掛かっている。なんでや!

なんでや!とはいいつつ、間に挟まった業者、というか会社が多かったからだということはわかっているのです。あっちに連絡してはこっちで相談し、結果があっちからこっちへ伝わり、といった感じで2週間もかかってしまった。まぁいろいろな伝達だとか、「工事が何時になるかわからないので一日中家にいられる日を教えろ」とか言われて土日にせざるも得なかったりで時間が掛かったのはしょうがないとは思うのだけど、それにしても寒かった。

最初にエアコンの不調に気が付いた11月20日の時点ではまだそんなに寒くなってなかったけど、「そろそろエアコンをつけてもいいかな」と思ったのでつけてみたら動かなかった。ところがその直後くらいから急激に冬型の気圧配置へ置き換わって、もう毎日寒くてたまらない。朝起きるとフローリングに霜が降りている。吐く息がきらきらと輝く。水道が凍っていて水が出ない。天井からつららが延びる。冷蔵庫の中も冷凍庫みたいになってる。南極と間違えたペンギンが部屋を歩いている。そのペンギンには調査用のカメラが取り付けられていて、どこかの大学の研究室に毎日の生活の様子をペンギン越しに観察されることになる。

「先生、なんでこの人はこんなに寒い中で生活しているんでしょうか。ペンギンの生態より不思議です」

「それはだね、暖房が壊れているからだよ」

そこで彼は卒論に「暖房が壊れた部屋に住む人間はペンギンと同じである」という卒論を書いて見事卒業。無事エアコンの修理業者へと就職して、そして卒論のテーマになった人のもとへと暖房を届けるためにやってきたのです。

 

そんな背景があったとも知らずにエアコン業者をうちへ招きいれました。「じゃあ外しちゃいますねー」と言ってさくさくとねじとかカバーとか配管を外していく。作業する横でごろごろしているのもなんなので作業を見ていたのだけど、ふと手が止まる。「何か袋ないですか?」というので何だろうと思うと、鳥の巣があるんだそうな。全然気が付かなかった。もしかすると何年か前に使って今年は使わなかったような巣かもしれない。

さて、工事を見ていて思ったのはよくわからない機械、工具があること。ドライバーみたいな持ち手の工具を金属パイプにつけてぐるぐる回しているとぱっくりと切断された。あんな簡単に金属パイプを切る工具があるのか。いくつかの穴とハンドルが付いた工具をぐるぐる回していると今度は金属パイプに金具が取り付けられた。どうやら金属パイプの端をつぶして”返し”を作り金具が外れないようにする工具だったらしい。変な機械をコンセントにつないで、エアコンの何かの配線とつないで電源を入れると・・・何が起きたか全然わからなかった。何かの検査機器だったんだと思うけど。世の中には専門の人しか使わない機械がいっぱいある。

 

専門用語もそうだけど、専門の工具とかも好きだ。自分でもなんで好きなのかはっきりわからないけど、専門職の人は専門職の人同士で一般人には到底わからないような話をしておいて欲しい。そしてすっと振り返って、「要するにこういうことなんですが」と簡単な言葉で説明してほしい。でもそれもわからなかったりするのだ。

専門用語とか専門工具とか、全然知らない世界が存在するということが好きなのかもしれない。まだまだ世界にはこんなに未知の部分があるんだ、とわかる感覚が専門職の人にあるからかも。もしくは専門用語をつらつらと述べ、専用の工具を手足のように使いこなす様がより「プロフェッショナルらしさ」を演出してより頼もしく、頼りがいがあるように見えるからかもしれない。

ということは、だ。もしかして専門用語を駆使して専用の工具を振りかざせば頼りがいが出るのではないか。頼りがいがある男はモテる。ここから導き出される方程式は、専門用語を駆使するとモテる・・・!きっとモテモテでしょっちゅう女の子をとっかえひっかえして付き合っているような男というのは、女の子の耳元で専門用語を語っているのだ。

「君の瞳にフイユタージュ」

「やっぱり君と一緒にいる時間だけがオーグメンテッドリアリティだね」

「僕と君との間にはもう、ヘルツシュプルング・ギャップはないんだ」

「何言ってるか全然わからないけど、専門家みたい・・・頼りがいがあるわ・・・」

そして身も心も工事も任せたくなっちゃうのだ。きっと。ここで本当のモテ男はきっと、「まぁ、『愛してる』も恋の専門用語だからね」って言うのだ。

 

そんなどうでもいいことを考えているうちに、エアコンの交換工事は終了。やっとこさつららやペンギン達ともおさらばってわけ。新しいぴかぴかのエアコンが吹き出す風の中で、こんなしょうもない文章を書いている。