努力の話

努力すれば必ず夢は叶うって、嘘ですよね。いやいやいや。努力したって叶わなかったことなんていっぱいある。「おい嘘つきじゃないか」って問い詰めたって、「何を言ってるんだい、君がした程度の努力じゃ足りないんだよ」とか言うのだ。そして「夢を叶えるためにもっと努力をしようじゃないか!だからこの通信教育の教材を買いましょう、今ならたったの20万円です」なんて続く。綺麗ごとを言う人はかわすのもうまいのだ、偏見ですけどね。

 

じゃあ、努力が絶対に叶う世界だったらどうだろう?しかも無限大にしなきゃいけなかったりはしなくて、一定の量の努力をすれば確実に一定の結果が出ることが保障されているとしたら?努力量と結果がはっきりとした関数で表現できるとしたら?かつ、同じ時間で努力できる量はみんな同じだとしよう。同じ時間でいっぱい努力できる人がいることになると、「いっぱい努力できる=才能」になるだけでたぶん現状と何も変わらないから。

叶えたい夢のある人は全員努力するだろう。そりゃそうだ、プロになりたいスポーツだったり優勝したいコンクールがあったり、行きたい大学があったりしたら努力すれば絶対に夢が叶う。プロと同じだけ努力したらプロみたいに上手くなった、やったーこれで田舎のおっかさんを食わせてやれるぞ!

まぁそう上手くはいかないでしょう。努力した人全員が夢が叶って最強に上手くなってしまうので、成績に差が出なくなる。同じ量の努力をした人はみんな同じだけ上手くなっちゃうから。でも雇えるプロ選手の数には限りがあるし、コンクールで優勝するのは一人だし、大学には定員がある。どこかで差を見つけて切らないといけなくなる。確かにみんな同じ努力をして最終的には同じ上手さになるんだけど、途中の段階で見てみるとたぶん差がある。そして恐らく、その差はどれだけ努力をしたか、と言うよりもどれだけ早く努力を開始したか、になる。努力をすればするだけ結果が出るのが明らかなので、努力をしていない瞬間があることなどありえないから。違いは努力を始めたタイミング、ということになる。

その結果、人生で成功するためにはいかに早く努力を始めるかだけで決まることになり、親の資産によって全てが決定されてしまうことになる。お金のない親は子供に勉強だけ努力させるので精いっぱいだけど、大富豪は手当り次第に努力をさせてみる。子供が何を好きになるかわからないからね。「この道に進みたい!」と思った時に「努力を始めるのが遅かったからもう勝ち目はないよ」となって諦めずに済むよう、生まれてすぐにでも色んな努力をさせてみる。大富豪が手当り次第に子供に詰め込むのがどういう結果になるかはともかく、生まれた環境によって、生まれた瞬間に人生の勝敗が決まることになる。

しかも一瞬の気も抜けない。ちょっとでも努力を怠ってしまうと、その間にも努力をしていたライバルにその分だけ差をつけられてしまう。しかもライバルがサボってくれない限り絶対に差を縮められない。同じ時間で同じ量の努力しかできないので。また、圧倒的年功序列になるし、早生まれは不利になる。年齢=努力した時間であり、目上の人は確実に自分より優秀ということになるから。年齢の割には優秀じゃないなって人は、努力をサボったものとして蔑まれることになるのだ。

 

でも、そういう一度努力をサボった人たちは、ひたすら努力し続けるだけのレースから脱落してもう「同率一位」をキープする必要がなくなって余裕が出てくる。出世に関係ない努力にも手を出してみる。どうせ先陣を切っている人たちには追い付くことはないんだけど、個人で楽しむ分にはいいかな。趣味を楽しみ出した「落伍者」を見ながら出世街道をひた走るエリート達は正直うらやましいのだけど、余計な努力なんかしているとライバルに置いてかれちゃうので頭を振って煩悩を振り払ったりする。

生まれてから努力しかしてない人たちは結局死ぬまで努力しかせずにとんでもない成果を残す。そしてその「皆勤賞」を表彰されたりする。でも表彰してくれるのは「落伍者」だ。表彰は努力じゃないから。落伍者の趣味である。あんなに蔑んでいた落伍者に表彰してもらうことで死んだエリート達はちょっと報われる、けど複雑な気分にもなる。あと、もっと長生きしたかった!なぜなら寿命が長いほうがいっぱい努力ができて、いっぱい成果を残せるから。最終的には「寿命が長い=優秀」ということになり日本人が=優秀みたいになる。その時まで日本人の寿命が世界一か知らんけど。

他人を表彰したりして遊んでいる「落伍者」の中でもちょっと差が出てくる。たとえば、何かやってみたいこと(ギターとかテニスとか映像技術とか、なんでも)があっても、努力しないやつが出てくる。今始めなくても、一定の努力で一定まで上手くなることが保障されているので、まぁ後でもいいか、となる。それよりスプラトゥーンやろうぜ!

そのうち「落伍者」の中でも努力をするやつとしないやつの差がはっきりしてきて、なんだかんだいっぱい努力をしてるやつは「才能がある」とか言われる。その頃にはあんまり努力をしなかったやつは努力をしてたやつとの間に、残りの寿命を全部使わないと追いつけないくらいの差が出来ていて、「まあ俺には才能がなかったんだ」といって自分を納得させる。努力をしなかっただけなのに!

 

どこに到達するかな、と思って考えてみていたけれど、なんだかんだ現実と似たような感じになってしまった。とりあえず明日は早起きしてちょっと勉強でもしてみましょうか。