ろくでもない話

ろくでもない話を書きます。

抗生物質の話だったり色んな考察だったり、書くのに頭を使うし手間もかかるものが続いたので、たまには筆の赴くまま、現代風にいうならタイピングの赴くままに書く。タイピングの赴くままに書くんだったらろくでもない話を書かないといけない。もし赴くままに読みがいのある記事が書けるんだったらそれは天才であるし、ブログなんかやってないでエッセイ本を出版した方がいい人だ。自分はそうじゃないからしょうもないことを書きます。でも最近はちょっと頭の良さそうなことを書いてばっかりだったのでちゃんとしたろくでもない話が書けるかわからなかった。だからタイトルをろくでもない話にしました。これならば内容に関係なく「ろくでもない話」だ!

すでにろくでもない話感がすごい。書いてて「全く読む価値がないな」ということがわかる。自分で。普段だったら戻って全部消して、改めて書き直すところだけども「ろくでもない話を書きます」と最初に宣言したことを免罪符にして書き直しません。どうだ。ろくでもない話であろう。変換ミスもそのままにしてやろうかと思ったのだけど、最初の変換ミスが「最近」が「細菌」になるやつだったので、消して直した。抗生物質の話の影響を受けた、頭を使ってそうな変換ミスはろくでもない話の中には存在が認められないのだ。

しかし、ろくでもない話には問題がある。なにかって、テーマも何もないのでネタがない。書くことがない。よく600字もここまでで書いたものだ。今のところ何も言ってない。いかにろくでもない話を書くか、ということしか言ってない。序文だ。前書きとかかも。プロローグというとちょっとカッコいい。でもろくでもない話なのでカッコよさはいらない。たぶんこのスカスカの文章を書く能力も、長年Twitterでくだらないことを書き続けるうちに身に付いたのだろう。

赴くままに書いていると、「言った」とか「書いた」が混在してくる。ブログに「書いた」ことなのに「言った」と表現しちゃったりする。いや、ダメだこの先は。ここからまた考察を始めると「ろくでもない話」から「ちょっとは読む内容のある話」になってしまう。ろくでもない話を書くと決めたからにはちゃんとろくでもない話を書かなければならない。ろくでもなさに真面目なので。

ろくでもない話、なんてタイトルで書き始めたくせにちゃんと面白くなっててほしいという思いもある。でも赴くままに面白い話が書ける可能性は低い。一か月かそこら文章を書いてみただけでそんなに文章力とか表現力が向上したは思えない。だからろくでもない話、なんてタイトルにしちゃう。ださい。面白くなかった時の免罪符としての、タイトル。そしてそれに続くスカスカの文章。一つの文章に二回免罪符って出てきちゃうあたりもダサい。そして、「あえてはっきりダサいということで、かえって良さが出てくるよね」みたいなのを期待しちゃうのもダサい。インターネットの人々のいう、そういった良いとか悪いとか、ダサいとかダサくないとかの判断基準というかセンスというかになかなかついていけてないので、なんとなくで流されてるところがある。みんな本当は全然わかってないだろ!と思ってるよ。

ちょっと意味のありそうな文章を書いてしまった。ちゃんとスカスカなことを書かないと。水にひたした高野豆腐。遠心分離した濁り酒。お冷ロック。へちま。ピーマン。へちま、最近見ない。絶滅したのかな。まだ育ててる小学校とかあるんだろうか。小学生が育てるには、へちま、でかすぎないですか?1メートルくらいになるやん。それにしてもへちまのスカスカ感、素晴らしいですね。へちまタワシになるくらいのスカスカスポンジ感もそうだけど、「へちま」という語感のスカスカ感というかへにょへにょ感というか。へちまって。へちまくらいスカスカ感のある単語、なかなかない気がする。らっきょう、とかも字面はいい勝負かもしれないけど、小さい「つ」がリズム感を生み出してしまって語感が良くなってしまっている。

さて1600字。原稿用紙4枚分になったのか。まだ読んでる人、いないんじゃないかと思う。またしばらくはちゃんと中身のある話を書くつもりなので、よろしくお願いいたします。