解散する話

「これにて、日本国は解散いたします!万歳!」

全然そんな話を聞いてなかった国民は2020年東京オリンピックの閉会式の会場で、ポカンと口を開けるしかなかった。後ろの方の座席の人たちは、総理がなんて言って閉会式を締めたのかよく聞き取れなかったのでとりあえずバンザーイ!と言って合わせていた。日本らしく「蛍の光」の流れる閉会後の会場で、片づけをする人や帰っていく各国の人らを見ながら日本人の客だけがざわざわしていた。

中継はそこで終わったのだけど、缶チューハイを呑みながら閉会式をテレビで見ていた俺も、大多数の国民と同じくポカンと口を開けるしかなかった。そんなにお酒に弱くなったのかな。今日は閉会式までに帰れるように仕事頑張ったから疲れてたのかな・・・中継が終わった後もそのまま点いていたテレビはニュースに変わっていた。慌ただしい様子でニュースキャスターが原稿を読み上げる。

「先ほど閉会した2020年東京オリンピックの閉会式にて、虎山総理大臣は日本の解散をかっ、宣言しました。繰り返します。2020年東京オリンピックの閉会式にて、虎山総理大臣は日本の解散を宣言しました。政府与党では事実関係の確認を急いでいます・・・」

噛んでる。臨時ニュースなのだろう。酔いのせいじゃなかったのか、と思っているとニュース速報も出てきた。「虎山総理大臣、日本の解散を宣言」。今見ているものとおんなじ情報をニュース速報で流すのってどうなんだ。甲子園とかでもあるよな。あまりに突拍子もないことだと受け入れるのに時間がかかるから、こんな関係のない些事にばっかり気を取られる。

そのうち記者会見が始まった。てっきり総理大臣か政府の人だと思っていたのだけど、オリンピック担当大臣が出てきた。

「えー、虎山首相による日本解散宣言ですが、これは事実、事実になります。皆様にお詫びをしなくてはいけないのですが、実はこの2020年、東京オリンピックの招致を決めた段階で、日本の解散は実は決まっておりました。事前にお知らせすることができず、誠に申し訳ありませんでした」

大量のフラッシュが焚かれ、オリンピック担当大臣のかつらがやや透ける。ダメだ、まだ全然意味がわからん。そのまま記者会見はオリンピック担当大臣の引責辞任に話が移ってしまった。しばらく粘って見ていたけど、あんなに焦って臨時ニュースをやっていた割には10時から大河ドラマが始まってしまった。チャンネルを少し回してみるがどの局もやや的外れなことばかり言っている。金メダルの個数は結局目標に達しませんでした。首相の解散発言ですが、どう思いますか?街の人に聞いてみました。オリンピック担当大臣にかつら疑惑が。競技場だけじゃなかったんですねぇ!確かに、気になるよね、かつら。日本解散ってどういうこと?とか事前に決まってたって何さ、とか全く出てこない。国民単位で些事に気を取られている。まさかこんなところで国民の一体感を感じるとは思わなかった。

「あの解散発言ですか?最後に万歳っていうのはどうなんですかねー?衆議院の解散に影響受けすぎなんじゃないかと思いますけど」

今日はもう駄目っぽいな、と思ってテレビを消し、冷蔵庫からもう一本チューハイを取り出した。レモンサワーのはずなのに無果汁だった。

 

翌朝。電車は普通に動いていた。目の前のおっさんの読む新聞は一面で日本解散を取り上げてはいる。盗み見て読んでいたが、昨日のテレビと大差ない情報しか得られないうちに、おっさんはページをめくってしまい記事は隠れてしまった。ちょっと前のめっていた体を座席に戻し、変に思われない程度に回りを見渡す。新聞を読むかスマホを見るかしかしていない。昨日と変わったところは特にない。みんな日本解散を気にしてないのかよ。気にしたところでできることは変わらないということか。それとも洪水や大地震より強烈な災害じゃなければ会社に行かねばならないってことなのか。後者だな、きっと。自分でもスマホを取り出して情報を探してみる。

「日本解散の計画は、東京オリンピック招致計画の始まる前年頃から気配はありました。日本を解散する、最後の節目となるようなイベントとしてオリンピックがふさわしいのではないかということで招致が決定したという背景がありました。」

テレビよりよっぽどツイッターにいる有識者?の方が詳しい情報を流してくるな。社会保障だったり人口減少問題だったり、緩やかな破滅の気配を察知しての計画だったのだという。見苦しく暴れるのではなくクライマックスで華やかに解散しよう、ということだったらしい。はあ。だがツイートの主も、日本解散がつまるところどういう意味があるのかはわからないのだという。なんだそりゃ。スマホから顔を上げるとちょうど乗換駅のドアが閉まるところだった。

 

遅刻した。上司の小言をさも効いているかのようなポーズで聞き流し、座席に戻る。作業に見せかけてヤフーニュースを見ている隣の同僚に聞いてみる。

「日本解散だってな」「らしいな」

画面から目を外さずに答える。

「要するにどういうことだかさっぱりわからんのだが。何かニュースに書いてるか?」「オリンピック担当大臣はかつ「それは知ってる」「そうか。じゃあ特に他に言うことはないな」

よく見たらこいつは芸能人の浮気報道のニュースを読んでいた。どこで見たか思い出せない男の顔が大写しになっている。

「本当に興味ないのかよ?」

ここでやっと画面から顔を上げた。

「日本の解散のことか?」「そうだよ。解散だぞ?もうちょっと思うところがあるだろ」

うーん、解散ねぇ。ニュースのページを閉じてからやつは言った。

「日本ってなにさ?」

一瞬なにを言われたのかわからなかった。きっと相当なアホ面をさらしてしまったことだろう。

「は?」「解散したのって、日本なんでしょ?日本って具体的にどこを指してるのかってこと。見ての通り国土ではないし、恐らく政府でもない。政府の解散なら内閣総辞職って言い方になるだろうし。閉会式で言う意味もわからん」「確かにそうだな」「どこかの省庁なのか?それだって日本解散、という言い方にはならないだろう。天皇家か?年金制度か?どこかの財閥?何が解散したんだ?」「そう言われるとわからんが…全部、とかだったりせんかな?」

全部ってなんだよ。やつは鼻で笑う。それから、概念ってことでいいんじゃねーかな、と言った。

「概念?」「そ。概念。国ってシステムっていうより概念みたいな感じと思うんだがなー。昨日のあれで日本は滅んだってことにして、これからは残ったばらばらな組織が上手いこと連携して動いてるって扱いにしてさ。今日からはディストピアなわけ」

そんなこと。一体なんの意味があるんだ。概念って。

「さーね…スポーツ選手が一番いい時に引退するようなもんじゃね?」

何か言おうとしたが、言葉が出るより先にやつが「やべっ」と言った。

「遅刻してきたわりにずいぶん悠長におしゃべりできるんだね?」

部長だ。今度はちゃんと効く小言をくらった。

 

帰りの電車は遅れていた。15分。日本解散とは全く関係なく、ただの信号トラブルだという。

ディストピア、か。遅れた電車を待ちながら、昼間の話を思い出していた。もう国というものはなくなっていて、それぞれの組織、それぞれの個人がたまたま上手いこと連携して上手くいっているだけ。ずいぶんと平和なディストピアなもんだ。たまたま電気が来ていて、たまたま電車が動いていて、たまたま乗客はおとなしく乗っていて。滅んだ国の抜け殻で名残を惜しむのだ。いつの間にか、悪くないかな、という気がしてきていた。15分の遅れも許してやろう。

帰宅してつけたテレビも、特に普段と変わらなかった。総理大臣は辞任したらしい。いくつかチャンネルを回したが、日本の解散が要するにどういうことなのか、とは誰も話していなかった。何か事件が起こったりもしていないようだ。各組織、各企業、各個人、別に行動が変わったわけではないらしい。新しい総理大臣も普通に選挙で選ぶらしい。本当に何も変わらない。

でも、と思う。でも、ディストピアなのだ。ここから先の毎日は、滅んだ国のエンドロールなのだと思うと、寂寥感とともに変な解放感がこみ上げてきた。悪くない。ニュースの後の天気予報を見終えると、テレビは消した。今日は休肝日はやめにしよう。冷蔵庫から無果汁の缶チューハイを取り出して、虚空に乾杯をした。