カッコいい専門用語の話

突然ですが、専門用語ってカッコよくないですか?!

内容とかどうでもいいんです。響きが。響きが良くない?自分がカッコいいと思う専門用語を今から並べます。あと「専門用語」はちゃんと定義とかしてないです。その道の人しか使わないよね、くらいのものです。

ヘリウムフラッシュ、ヘルツシュプルング・ギャップ、カルバペネム、バンコマイシン、全か無かの法則、ポータルベイン、プラグマティッシュ・ザンクティオン、電気水圧衝撃波結石破砕術

ねぇ。カッコよくないですか。意味とか置いといて。クーゲルシュライバーも入れたい。ドイツ語でボールペンってだけだけど。ヘリウムフラッシュ、ヘルツシュプルング・ギャップは宇宙科学の用語。カルバペネムとバンコマイシン抗生物質の名前。全か無かの法則は神経生理学の用語。ポータルベインは門脈を英語にしただけです。プラグマティッシュ・ザンクティオンは世界史の用語。電気水圧衝撃波結石破砕術は胆石の治療法です。響きだけだったらクーゲルシュライバーもいい勝負じゃない?ボールペンなのに!

 

Twitterとかask.fmとかでちまちま人に聞いて集めた専門用語もあるので、それものせちゃう。意味は知らないやつもあるし、説明してくださったやつもあるよ。

・スパニングツリー

・リバラティ・トゥ・ティーメ・イクス・インフェリス

・統合の象徴

・イネ・ホールクロップサイレージ

・バリマックス回転

ヒューリスティクス

・無声軟口蓋破裂音

・ゼルプスト(本来的自己)

・アルミスパンドレル

・青森シャモロック

・ハイドロプレーニング

・オーグメンテッドリアリティ(拡張現実)

・ラスタライズ

・ビルトインスタビライザー

・フイユタージュ:

パイ生地。パイの層を作る行為。

・本[ほ・ん]:

特定の業種において接客した人数を数える単位

ふたなり

マンホールのふたがかたかた鳴ること

ガベージコレクション (Garbage collection):

アプリケーションが確保したメモリを自動的に解放する機能です。GC と略しますがゲームキューブじゃないです。

・15分だけ寝る(じゅうごふんだけねる):

ask.fm

モナドには窓がない:

ask.fm

・擬喚述法

ask.fm

 

一番カッコいい専門用語を教えてください、という質問を昔ask.fmでしまくっていたのは私です。

専門用語、やっぱりカッコいいと思うんだよね。これだけ実例を並べたらわかってもらえるんじゃないでしょうか。

 

「いや、俺だってカッコいい専門用語知ってるぞ!」「もっとカッコいい専門用語あるよ!」という人もいるでしょう!なので作っちゃいました。カッコいい専門用語の投稿フォームです。

欲を言えば「カッコいい専門用語選手権」みたいなのもやりたい。どの専門用語が一番票を集めるか!ツイキャスでできないかなーと思ってたこともあったけどツイキャスよりブログ向きっぽい。ということで、カッコいい専門用語を教えてください!教えてくれなくてもいいけど。もし集まったら追記記事でも書きます。

紙パックに隠れた言葉の話

もう何年も前になると思うのだけど、ブリックパック(200mlくらいの紙パック)の野菜ジュースかなにかを飲んでいた時のこと。分別をきちんとしたかったので、飲み終わるとストローを捨て、ストローが入っていた袋も外して、紙パックは開いてたたんで、とやっていた。その日もいつものように紙パックを開いてたたんでいると、ある言葉に気が付いた。紙パックの、開いてたたんで初めて見える場所に

「たたんでくれてありがとう」

という文字が。それまではなかったから、ある時から書かれ始めたのだと思う。初めて見つけた時、「ありがとう、と書いてあるということはやはりたたむことは良いことだったのだな(当時、兄はパックをそのまま握りつぶして捨てていた)」ということと、隠されていたものを見つけたという、なんだか宝探しに参加したようなワクワク感があったのを覚えている。

またそれから少しして。今度は1Lサイズの牛乳パックを開いていたとき。今度は

「リサイクルありがとう」

という文字が。ブリックパックとは構造が違うけど、やっぱり開いて初めて見える位置に書いてあった。正確にはまだリサイクルされていない段階なのだけど、開いたらまず間違いなくリサイクルされるだろうから良いのかな。リサイクルは良いことだとすでに知ってるからブリックパックの時とは少し感想が違ったけど、それでもワクワク感というのはあった。

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ここでまず一つ気になってくるのは、言葉が違うことだ。一方は「リサイクルありがとう」で非常にわかりやすい。リサイクルの推進と、リサイクルしてくれることへの感謝。でも「たたんでくれてありがとう」は?こちらはリサイクルありがとう、ではなくてたたむこと自体に感謝をする文になっている。たたむこと自体にも感謝するくらいの良い効果というのがあるんだろうか?

調べるとカゴメのHPが。

www.kagome.co.jp

真ん中くらいの、「飲用後の紙容器の分別と減容化の促進支援」というところ。2008年から始めたということなので、突然現れたな、という印象は間違ってなかった様子。

飲用後の紙パックを分別し、さらにたたんで減容化していただいたお客さまに対し、感謝を表したメッセージ「たたんでくれてありがとう」を容器に表示しています。 

とのこと。 分別し、というのはリサイクルではないのかな。1Lサイズの牛乳パック型のもの以外はリサイクルしているのは見たことがないので、単純にごみの分別、ということでいいのだろう。ごみの分別ということならたたまなくてもできることなので、恐らく本題は「ごみの減容化」。たたまずに捨てるよりもたたんでから捨てた方がごみ全体のかさが減る、ということのようだ。たたまずに捨てると最大で200mL体積が増えるので、確かにたたんでごみの減容化、有効そう。

 

そしてもう一つ。このワクワク感と「この発想がすごいな」と感じる理由だ。「宝探しに参加したような」とさっきは表現したけど、工場の向こう側の、見えない相手がする行動を予測して「これをしないと見つからない」という仕掛けをすることがすごいな、と思う。「たたまないと見つからない」というのはいわば合言葉を知ってる人しか入れない会員制の何かとか、そういうものに近いと思うのだ。そしてこの合言葉を、客の行動を予測して設定したことでわざわざ周知しなくても良くなった、というところがすごい。普通の合言葉だったら事前に「これが合言葉です」みたいな通知があるはずだし、合言葉を聞いた時点で会員になれたことはわかる。でもこの「たたんでくれてありがとう」は、たたんでみたら隠れていた言葉がでてきた、ということで知らず知らずのうちに会員になれていたような、「たたむ」という合言葉を知らない人には見えない世界に入れたような、そんなワクワク感がある。

また、これを見て驚いたのは「まだこんな余白があったのか!」ということ。牛乳パックにしろブリックパックにしろ、すでに慣れ切っているし良く知ってるものだと思っていた。そんなときに突然隠れた言葉が現れたものだから、見ているようで見てなかったのだな、と思う。もしかすると他のものにも、何もないと思っていたけど実は使える場所だった、使えるものだった、ということがまだまだ隠れているのかもしれない。本当にシンプルな言葉だけど、これをきっかけとして油断せずに「余白」を探していきたいと思いました。

 

たった一行の、たぶん大して費用もかけずにできるだろうことだけども、すごく面白いと思う。実際にごみの減容化がどのくらい推進されたのか、とかはわからないけど、このセンスと発想は本当に良いしもっと広まって評価されてもいいんじゃないかなと思います。広まっちゃうと秘密基地っぽさというか会員制っぽさはなくなっちゃうけどね。試しにブリックパック、たたんでみてください。

ラジオの話

先日久しぶりにカラオケに行った。同期数人と、あんまり趣味がかぶってなさそうな数人と行くことになったのでやや曲を選ぶのが難しいなぁ、と思っていたら結局メドレーばっかり入れる流れになった。「200X年男性メドレー」みたいなやつ。こういうメドレーだったらその年に売れた曲ばっかりなのでまぁみんな知ってるだろう、ということなのだけど、意外と知らない曲が入っている。2005年とかだったらだいたいわかるのだけど、2010年くらいを過ぎてからわからない曲の方が増えてくる。わからん。わからんわからんぞ・・・?特にジャニーズとかAKBとかのアイドル系の曲が全然わからん、と思ったところで「ああ、ラジオのせいだな」と気づく。

 

音楽雑誌を読み漁って流行をチェックしたり、テレビで音楽番組を観たりも積極的ではなかったので、J-POPの流行に着いていくのはもっぱらラジオ経由だった。「ラジオをずっと点けっぱなしにしておくと、話声がするから空き巣に狙われにくくなるんだよ」と母がどこから仕入れたのかわからない知識によって、家では常にラジオが点いていた。ラジオ局はJ-WAVE。選局も母によるものだったけど、「文化放送を入れたかったけど家じゃ入らなかったから」みたいな理由でたまたま代わりに選ばれたらしい。

このJ-WAVEというラジオ局は、どうやら初めてJ-POPという言葉を作って使い始めたラジオ局でもあるらしく流す曲は流行りのJ-POPはもちろん洋楽もロックも、といった感じ。まぁそんなに他のラジオ局を聞いたことがないのでわからないのだけど、でも音楽に強めのラジオ局なんじゃないかと思っている。Wikipediaをみたら「バブル景気中に各地に設立された”お洒落な音楽だけを流し続ける”FM局の一つ」と書いてあった。そうなの?

「お洒落な音楽だけを流し続ける」FM局の一つであるJ-WAVE、もともとは洋楽しか流さなかったんだって。それでJ-POPという言葉を作ったのと同時期から邦楽も選りすぐって流すようになった、みたいなこともWikipediaに書いてあった。そんなJ-WAVEを聞きながら中学高校時代、ずっと育ってきたので知っている曲、聞いたことある曲のリストが「J-WAVEで掛かる曲」にほぼ限定されてきた。別に困ることもなかったし「お洒落な音楽だけを流し続け」てくれるおかげで満足もしてた。でも途中でこの選曲にやや偏りがあることに気が付いた。

ここでやっと最初の、ジャニーズとかAKBとかのアイドル系の曲が全然わからないという話に戻ってくるのだけど、J-WAVEで流れる曲の中に、本当に全くと言っていいほどジャニーズとかのアイドルの曲がない。J-WAVEに流行曲の更新を任せていたから、たまにテレビで音楽番組を観たりするとランキング上位のアイドル曲を全く聞いたことがなかったりした。本当に、本当に徹底的にアイドル曲が流れない。たぶん開局当時のこだわりの名残なのだろうなぁ。調べたけどはっきりと書いてあるところはなかったです。

 

そんな何年間も聞き続けていたJ-WAVEだけど、一人暮らしを始めてラジオはないけどテレビはおいてある部屋へ引っ越したから全然聞かなくなっていた。聞かなくなっていたことにも気が付いてなかったんだけど、「そういえばずっとJ-WAVEを聞いてたんだ」ということを先日のカラオケで思い出した。しかもアイドル曲が全然わからないから、という理由で。いくらなんでもそんな思い出し方ないだろ、と自分でちょっと笑ってしまった。

そのほんの数日後に遊びに行った友人宅で、ラジオが掛かっていた。J-WAVEである。あまりの懐かしさに「これJ-WAVEだろ?!」って聞いてしまった。彼はrajikoというサイトを使ってJ-WAVEを聞いていた。rajikoというのはラジオがなくてもインターネット回線を使ってラジオ番組が聞けるというものなのだけど、rajikoがあることを完全に忘れていた。

じゃあラジオがなくてテレビしかない部屋でも、またJ-WAVEが聞けるのか。帰ったらJ-WAVEかけてみよう、と酒で酔った頭で思ったんだけどその時rajikoから「今の若い人には、rajikoじゃなくてラジオで番組を聞いて欲しいんですよね」と熱弁するゲストの話が聞こえた。ごめんなさい。今もrajikoで聞きながらこれを書いてます。やっぱりテレビと違う良さがありますね。ラジオの話、というかrajikoの話でした。

米のとぎ汁の話

米のとぎ汁を捨てる直前に、ふと思った。このとぎ汁、煮物に使った方がいいんじゃ?その日はさんまの味噌煮を作ろうとしていたので、米のとぎ汁が煮物に使えるなら捨てずに使った方がいいだろう。おでんの大根を煮るときのイメージしかなかったので他の煮物でも使えるのかな、と調べてみると大根が白くなって味がしみやすくなります、という記述が。うーん、白くなるのか・・・と思っていると他にこんなことが。

「臭いのついてしまったタッパーも、一晩漬けておくと臭いがとれます」

本当かな?早速試してみることにした。

 

ちょうど良く臭いのついてしまったタッパーがあったので、それの臭いが取れるかどうかを試してみようと思う。カレーを鍋いっぱいに作ったあとにこのタッパーに入れて冷凍したりしていたので、カレーの臭いがしっかりと着いてしまっていたのだ。さらに変な汚れがこびりついていて、いくら水につけておいても洗剤でこすり洗っても全然取れなくて諦めていた。この汚れも取れたりしないだろうか?

うっかり一回目の米のとぎ汁を捨ててしまったので、二回目の米とぎのとぎ汁からタッパーに注いでみた。二回目のとぎ汁だけではいっぱいにならなかったので、三回目の米とぎのものも加えた。結果こんな感じ。

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真っ白。これで臭いが取れるんだろうか・・・?一晩くらい置いておけば十分だろう、ということで一晩放置してみよう。と思ったのだけどしばらく放置して置いたら下の方に沈殿が出来ていた。

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沈殿の部分に影ができている。これがまたこびりついてしまったらたまらないぞ、と思って振ってみるとあっさりと混ざっていった。うーん。とりあえず様子を見よう。カレー臭いよりも米のとぎ汁臭かった方がましだ。

 

翌日。だいたい丸一日経ったところで米のとぎ汁を捨てる。24時間経ってめちゃめちゃに沈殿していたけど、軽く振ったら混ざっていったのでとぎ汁がこびりついたりはしなかった。まずふたを開けて臭いをかいでみる。

・・・

何の臭いもしない。もともと臭いがついていたのはタッパーだし、米のとぎ汁には大した臭いもないから当たり前なのだけど。タッパーを常温で放置していたので、もしとぎ汁が発酵してたりしないかと不安だったけれど、何も問題なくてよかった。

いざとぎ汁を全部流して、タッパーの臭いをチェック。

・・・?

・・・!

臭いがなくなっている気がする!タッパーについていたカレー臭がほとんどなくなっているように思える。臭いを記録する手段がないから記憶に頼るしかないけど、とぎ汁に漬ける前は確かにもう少しカレー臭かったような。効果ありか?

残ったとぎ汁を洗剤で洗い落してもう一度臭いを確認。やっぱりなくなっている気がする。しかしタッパーについていた変な汚れは洗っても取れず。臭いはなくなってるので、これ、汚れじゃなくて傷なのかもしれない。汚れは取れなかったけど臭いは取れたので、よしとする。

 

米のとぎ汁での臭い取り作戦、とりあえずは上手くいったようにみえる。次もカレー臭がついたら米のとぎ汁、使ってみようと思います。

ろくでもない話

ろくでもない話を書きます。

抗生物質の話だったり色んな考察だったり、書くのに頭を使うし手間もかかるものが続いたので、たまには筆の赴くまま、現代風にいうならタイピングの赴くままに書く。タイピングの赴くままに書くんだったらろくでもない話を書かないといけない。もし赴くままに読みがいのある記事が書けるんだったらそれは天才であるし、ブログなんかやってないでエッセイ本を出版した方がいい人だ。自分はそうじゃないからしょうもないことを書きます。でも最近はちょっと頭の良さそうなことを書いてばっかりだったのでちゃんとしたろくでもない話が書けるかわからなかった。だからタイトルをろくでもない話にしました。これならば内容に関係なく「ろくでもない話」だ!

すでにろくでもない話感がすごい。書いてて「全く読む価値がないな」ということがわかる。自分で。普段だったら戻って全部消して、改めて書き直すところだけども「ろくでもない話を書きます」と最初に宣言したことを免罪符にして書き直しません。どうだ。ろくでもない話であろう。変換ミスもそのままにしてやろうかと思ったのだけど、最初の変換ミスが「最近」が「細菌」になるやつだったので、消して直した。抗生物質の話の影響を受けた、頭を使ってそうな変換ミスはろくでもない話の中には存在が認められないのだ。

しかし、ろくでもない話には問題がある。なにかって、テーマも何もないのでネタがない。書くことがない。よく600字もここまでで書いたものだ。今のところ何も言ってない。いかにろくでもない話を書くか、ということしか言ってない。序文だ。前書きとかかも。プロローグというとちょっとカッコいい。でもろくでもない話なのでカッコよさはいらない。たぶんこのスカスカの文章を書く能力も、長年Twitterでくだらないことを書き続けるうちに身に付いたのだろう。

赴くままに書いていると、「言った」とか「書いた」が混在してくる。ブログに「書いた」ことなのに「言った」と表現しちゃったりする。いや、ダメだこの先は。ここからまた考察を始めると「ろくでもない話」から「ちょっとは読む内容のある話」になってしまう。ろくでもない話を書くと決めたからにはちゃんとろくでもない話を書かなければならない。ろくでもなさに真面目なので。

ろくでもない話、なんてタイトルで書き始めたくせにちゃんと面白くなっててほしいという思いもある。でも赴くままに面白い話が書ける可能性は低い。一か月かそこら文章を書いてみただけでそんなに文章力とか表現力が向上したは思えない。だからろくでもない話、なんてタイトルにしちゃう。ださい。面白くなかった時の免罪符としての、タイトル。そしてそれに続くスカスカの文章。一つの文章に二回免罪符って出てきちゃうあたりもダサい。そして、「あえてはっきりダサいということで、かえって良さが出てくるよね」みたいなのを期待しちゃうのもダサい。インターネットの人々のいう、そういった良いとか悪いとか、ダサいとかダサくないとかの判断基準というかセンスというかになかなかついていけてないので、なんとなくで流されてるところがある。みんな本当は全然わかってないだろ!と思ってるよ。

ちょっと意味のありそうな文章を書いてしまった。ちゃんとスカスカなことを書かないと。水にひたした高野豆腐。遠心分離した濁り酒。お冷ロック。へちま。ピーマン。へちま、最近見ない。絶滅したのかな。まだ育ててる小学校とかあるんだろうか。小学生が育てるには、へちま、でかすぎないですか?1メートルくらいになるやん。それにしてもへちまのスカスカ感、素晴らしいですね。へちまタワシになるくらいのスカスカスポンジ感もそうだけど、「へちま」という語感のスカスカ感というかへにょへにょ感というか。へちまって。へちまくらいスカスカ感のある単語、なかなかない気がする。らっきょう、とかも字面はいい勝負かもしれないけど、小さい「つ」がリズム感を生み出してしまって語感が良くなってしまっている。

さて1600字。原稿用紙4枚分になったのか。まだ読んでる人、いないんじゃないかと思う。またしばらくはちゃんと中身のある話を書くつもりなので、よろしくお願いいたします。

塗りたての話

気になっている張り紙がある。ペンキ塗りたて、というやつだ。塗りたてとわざわざ貼るからには塗りたてなんだろう。歩道脇の道路標識のポールとかがペンキ塗りたてになっていたりする。触ると手にペンキがべったりつくかもしれない。うっかり鞄をぶつけてペンキがついていたりしても最悪だ。距離を取って歩こう。

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でも、こういった「ペンキ塗りたて」がいつまで経っても貼ってあったりする。そもそも、これ、乾いたころに誰か剥がしにくるのか?まだ貼ってあるってことは、まだペンキが乾いてないのかな・・・?それとも貼りっぱなしで誰も剥がしに来たりしないものなんだろうか・・・?いつまでうっかりペンキまみれになる恐怖におびえながら過ごせばいいんでしょうか。ペンキでべったりになる夢を見てしまって夜も眠れません。

一般的なペンキ塗りたての張り紙(一般的、とかあるのかしらないけど)はあんまりちゃんと固定もされてないし、紙自体も薄っぺらいものが多いように思う。ふと思ったことは、「もしや雨が降ったりすると自動的に溶けて外れる仕組みになっているのでは?」ということ。「ペンキ塗りたて」を貼ってから雨が降るまでの間にはペンキが乾くだろう、だからペンキが乾いた後に張り紙を剥がしに行ったりしなくても自動的に外れるんじゃないか?張り紙をくくりつけているのも細い針金だし、張り紙が外れやすくしているのかも。書いておいてなんだけど、たぶん違うよなぁ。ずっと晴れてる時の方が早くペンキが乾くだろうに、晴れてた方が長いこと張り紙がそのままになることになってしまう。塗ってすぐに雨が降ったら乾く前に張り紙だけなくなる、ということもあるだろうし。

「天気予報どうだ?」

「明後日、雨が降るらしいっす、親方」

「よしそうか。ペンキが乾いたころにちょうど張り紙が溶けてなくなるようにするためには、明日作業をやっちまうのが良さそうだな」

とか絶対やらないだろうし。無駄が過ぎる。くくりつけている針金が細いのも、せっかく綺麗に塗ったペンキに針金の跡がついたりしないためだろうし。

 

このペンキ塗りたての張り紙、一週間くらいずっと貼りっぱなしのこともあったので恐らく剥がしたり、自動で溶けたりとかしないのだろう。剥がしに来たりもしないようだ。ということは、塗っている現場を見ていた人以外は「このペンキ塗りたての張り紙は、本当に回避すべきかどうか」がわからないという失敗デザインの物体なんじゃなかろうか。「ペンキ塗りたて」とは書いてあるけど本当にペンキ塗りたてかどうかはわからない張り紙、何の意味もなくない?

単純に、貼りつけた日付を書けばよいと思うのだけど。9/30とか日付が書いてあれば「つい最近塗ったんだな、もしかしたらまだ乾いてないところがあるかも」と判断できるし。書こうよ、日付。年号とかは書かなくてもいい。いくらなんでも一年前のではないだろうし。

我ながら良いアイデアではないか、と思ったけど「本当にそうか?」という思いが出てきた。だって、たまたまその道を通りがかっただけの人とかが小さい張り紙に書かれた日付を見るだろうか。「三日前の日付だからぶつかっても平気だな」とか考えながら歩くかな?ぶつかっても平気だな、と思ったところで。ぶつかって平気じゃなくたってぶつからないだろう普通。通りすがりの人からすれば、いつから貼ってあった「ペンキ塗りたて」だろうが関係なくちょっと良ければいいだけの話じゃないか。日付とか無駄である。

それに、「毎日同じ道を通るんです、だから毎日この『ペンキ塗りたて』を恐れて通らなくちゃ行けなくて・・・」という人だって、もうペンキ塗りたてではないことを知っている。もう三日も前から貼ってあったし。いつから貼ってあるか知ってるなら日付なんか書いてなくてもいい。わざわざ日付を書くのはやっぱり無駄であろう。

そもそもペンキ、乾くのにそんなに時間かかるんだろうか?と思って調べてみるとどんなに長くてもせいぜい1日で乾くとのこと。なんだ。日付を気にする前にペンキが乾いてしまうとは。じゃあ日付入れたりするのって本当に無駄じゃん!昨日も見たな、という「ペンキ塗りたて」は引きちぎっても平気ということだな?!触って乾いてることを確かめてやるからな!!

 

もう一つ気が付いたことは、「この達筆、前も見た気がする・・・」ということ。気になって画像検索をしてみると、違う字体の「ペンキ塗りたて」もたくさんあるのだけど、明らかに同じフォントの「ペンキ塗りたて」張り紙の写真が見つかった!いくら達筆な人でも毎回全く同じフォントで書けるはずはあるまい。弘法も筆に誤りというくらいだし。ということはこの達筆っぽい張り紙は印刷だったのだ・・・!

だとすると日付を入れないのも余計に納得が行ってしまう。そもそもの「ペンキ塗りたて」を手書きなんかじゃなく印刷してあるものを持ってきているだけなら、わざわざ日付だけを追加で手書きするのは余計な手間だ。「日付を入れた方がわかりやすくていいんじゃない?」ってことは誰か気が付いていたのかもしれない。でもその手間が無駄だし余計な手間だということがわかってしまったから、きっとシンプルな張り紙に落ち着いたのだろう。

結局今日もまだ貼ってあったので思い切って触ってみたが、ペンキ塗りたてのポールは案の定しっかりと乾いていた。

手すりの影の話

どうでもいいことから勝手にいろいろ考えるやつです。もはやシリーズと言ってもよかろ。

今回はこれ。正直よくわかんないんだけど。

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その辺にある駅の階段ですね。手すりが付いてる。黄色い案内板が何も書いてないのは場所を隠すために消したからです。そこは今回の問題ではなく。

階段に、黒い筋が一本入っているけれど、これは一体なんだろう?普通に考えると手すりの影なんだろうな、となるんだけど影にしてはやたらはっきりしてない?

実際、手すりを持ってみても手の影は写らないし、影?の横に足を置いてみてもこんなはっきり影にならなかった。でも場所的には手すりの影と考えても問題なさそうな位置なんだよなぁ。

写真に写っていない情報もまとめると

・手すりを持っても手の影は写らず、黒い筋の横に足をおいても影はこんなに濃くならない

・この黒い筋の上にはとくに何もない(雨漏りの跡、とかではない)

・手すりの片側だけに黒い筋があって、反対側にはない

・でも階段の両側に蛍光灯はある

・手すりは階段のやや左よりにあって、黒い筋はだいたい中央くらいの位置にできている

正直なところ、あんまり納得のいく説明が思いつかない。なんだこれ。

 

仮説としては、やっぱり元々は手すりの影だったんじゃないか、ということ。位置がぴったりなんだよね。手すりの片側にしかできていないのは、蛍光灯がある程度近くないと影ができないからじゃないかと。反対側からすると手すりと蛍光灯が離れていて影がぼやけてしまうから、片側にしかない。これ、全然伝わる気がしない。図示しようとしたら90年代インターネッツみたいなのができた。

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初めて見る図のはずなのに懐かしさを感じる・・・右の蛍光灯から手すりまでの方が遠いので影ができにくいんじゃないかってことです。もしできたとしても、真上にある左側の蛍光灯によって消されてしまうことも考えられる。

まぁここまではよしとして、手すりを持った手や近くに置いた足の影よりもこの黒い筋がかなり濃い理由を考える。考えたい。考えたいんだけど、あんまり合理的な説明が思いつかないので知ってる人がいたら教えていただきたい・・・!

可能性としては、この階段の素材である石が光があたり続けて退色したんじゃないか、ということ。そして常に蛍光灯からの影が出来続けていた部分だけが退色せずに残り、塵も積もれば、ということでここまではっきりしたんじゃないか、ということ。

 

一応裏が取れないかと思って調べてみたけれども、駅の階段の素材は恐らく花崗岩であるということ、花崗岩は屋外では退色する、ということはわかったけども蛍光灯の光程度でこんなはっきり違いが出るほど退色するかはわかりませんでした。これすごく気になるんですけど、もしご存じの専門家の方とかいらっしゃったら教えてください!