声かけ実験の話

「ありがとう」と毎日声をかけたごはんはいつまでも綺麗なままだが、「ばかやろう」と声をかけたごはんは早く腐る。無視をしたごはんはもっとひどい。

なんて実験、時々見かける。先日は「ありがとう」と無視のバージョンだったが、ありがとうごはんは5か月も腐らずに残り、発酵して麹のようないい香りになっていた、とか。無視していたごはんはすぐにどろどろに腐ってしまったという。

正直うさんくさい。ごはんに言葉が通じるのか。そもそも無視って、普段の生活でほとんどの食べ物に対しては無視してるじゃないか。「ばかやろう」ですらごはんに掛ける人はいないだろう。無視をしたごはんが一番早く腐ってしまうんだったら、今度から長持ちさせるために「ばかやろう」でもいいから話しかけた方がいいことになる。もしそういった言霊を信じる人のいうことが本当なら、保存という面から考えれば、無視したごはんよりも「ばかやろう」と声を掛けたごはんの方が早く腐るんじゃないか。「暴言を吐きかけるのもひどいけど、無視が一番ひどいんです。いじめは良くない」という結論だと道徳的になるけど「ごはんを長持ちさせるためには暴言でもいいから話しかけた方がいいことになりました」だととたんにアホっぽくなる。

それに、大抵サンプル数が極端に少ない。「ありがとう」と声を掛けるごはんも「ばかやろう」と声を掛けるごはんも1つずつだ。偶然の偏りを全く排除できないじゃないか。たまたま「ありがとう」と声を掛けていたごはんの方が長持ちしました、というだけの可能性を否定できない。なんて思って見てる。

 

でも、大抵目にするそういった実験、「ありがとう」の方が長持ちしたという結論になっている気がする。実は偏りがあるんじゃないか?もし本当に声かけで腐敗を抑えられるんだったら大発見である。腐敗は細菌の増殖によるものだけど、言葉の内容で腐敗が変わるとしたら、言葉を理解できる細菌がいる可能性がある。もしくは、ごはんの方が言葉を理解していて、細菌の繁殖を抑える物質を出したり出さなかったりしているのかも。他には、言葉は理解していないけど言葉ごとの周波数とか音程とかが奇跡的な影響をして、細菌の繁殖や繁殖を抑える物質の出方が変わるとか。いずれにせよ、今のところ明らかになっていない何らかの効果が言葉によって生み出されている可能性がある。

もし本当に言葉によって腐敗を抑えられるんだったら、病気も防げるかもしれない。風邪をひきそうになったらのどにむかって「ありがとう」と声かけをすることで病原菌が繁殖しなくなって風邪が治るとか。風邪くらいだったら大した発見にならないけど、もし肺炎とか手術後の傷口の化膿とかを防げるならものすごく役に立つだろう。この人は腎臓が悪いからこの抗生物質使えないんだよね、という人も「ありがとう」と声かけをすることで病原菌を倒せるのかもしれない。声かけが腐敗を左右するなら、道徳的な意味以上に生物学的・医学的意味が大きいと思う。「ありがとう」という言葉に腐敗の抑制作用があることがわかりました、となったらノーベル医学・生理学賞とか取れるんじゃなかろうか?わたしが受賞は「ありがとう」という言葉を生み出した日本人のおかげです!ありがとう!

 

さて、生物学的・医学的大発見が隠れているかもしれないし、自分でも実験してみようか、とも思ったのだけど目の前でごはんが腐っていくのを見るのはつらい。実験設備や環境を整えるのも難しそうだったので、すでに実験している人の例をたくさん調べてきて分析するという方法を取ってみようと思う。ちなみにすでに書かれたたくさんの論文を集めて分析する、というタイプの研究手法はシステマティック・レビューと呼ばれています。カッコいい。検索によって16件の「実験」報告が見つかった。本当のシステマティック・レビューはちゃんとした検索方法とか解析方法とかあるんだろうけど、さすがにそんなプログラムは持ってないし組めないからエクセルにまとめるだけに。報告ごとにばらつきが大きすぎるのでそもそもちゃんとした分析にはならないからエクセルくらいがちょうど良いけど。

16件の参考URLを片っ端から並べておきます。

【大発見】リンゴに罵声を浴びせ続けると早く腐り、褒め続けると腐らない | netgeek

ありがとうと無視|ぎふてっど

ABCDEFG・不思議物品研究室・「ありがとう」と「バカヤロー」と「ご飯」の実験

ABCDEFG・不思議物品研究室・「ありがとう」と「バカヤロー」と「電池」の実験

光雲ルチルクォーツ ごはん実験!ありがとう実験のスタート!

波動注意報 - ご飯に声かけ実験01

みかんの実験その後・言葉のエネルギー|代替医療師Vanillaのブログ

ご飯に”プラス言葉”と”マイナス”言葉をかけました|村田ボーリング技研株式会社

ご飯に声かけ - ご飯に声をかけ続けて一方は「ありがとう」もう... - Yahoo!知恵袋

罵声を浴びせたら柿やみかんが早く腐るのか実験するよ! - Togetterまとめ

JAいわてグループ | ごはん・お米とわたし

ありがとうの本質 | びんちょうたんコム

@nifty:デイリーポータルZ:コシヒカリに英語が通じるか

http://nogreenplace.hateblo.jp/entry/2014/11/28/110224

http://www.chem.ous.ac.jp/~takahara/circle/pic050805.html

全体的にページが古い。たぶんこの「ありがとう」実験が流行ったのが2005~2008年くらいなんだと思われる。ひとつページが被ってるのでURLは15個しかないけど。集計するとこんな感じ。

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実験主体、というのは誰がやったかによって結果の見方が違うだろう、と思ったので入れたのだけど、「スピリチュアル企業」とかは完全にこっちの主観が入った書き方なのであんまり意味はなさそう。やっぱりサンプル数が1とかがほとんどなのだけど、時々サンプル数が多いものが混じっている。腐敗数については当人が腐ったと言っているかどうかではなくこちらで一貫して判断しました。明らかに腐ってはいる、という場合でも明確に両者に差があった場合は腐敗数の欄にカウントしませんでした。

「どちらも腐った」としか書いてなかったYahoo!知恵袋の回答は計算にいれないけど、腐敗率を計算してみると

・プラスの言葉を掛けた場合:88%

・マイナスの言葉を掛けた場合:100%

・無視した場合:94%

となりました(電池は除いています)。プラスの言葉を掛けた時の、無視した場合(というか普通に保存した場合)に対するリスク差は-6%。プラスの言葉を掛けた方が6%ほど腐りにくい、という意味ですが、95%信頼区間は-15%から8.6%なので、今回効果が出たのはたまたまだった、という判定になります(合ってると思いますが違ったらご指摘ください・・・)(95%信頼区間の説明についてははしょりますが、95%の確率でその範囲の結果になります、というとわかりやすいと思います。厳密には違うので統計屋さんには怒られそうですが)。ところがプラスの言葉を掛けた時の、マイナスの言葉を掛けた場合に対するリスク差は-12%で、95%信頼区間は-21%から-3%です。統計的にみても意味のある効果が出た!実際に、「ありがとう」と「ばかやろう」では効果に違いがあるようだ。計算自体は、専門の人に怒られそうなやつなんだけどお許しください。

 

もうちょっと詳しくみてみよう。上の計算は全部の実験をおんなじものとしてみなして計算してしまっている。ちゃんと表を見ると、方法として「声かけ」と「ラベル」というものがある。これはどういうことかというと、声かけ実験とまとめてしまったこの実験、方法として「ラベルにありがとうと書いて、ごはんを入れた容器に貼る」だけのものと「ラベルにありがとうと書いたうえで、ごはんを入れた容器にちゃんと声を掛ける」というものがあるのだ。いくらなんでもラベルに字を書いただけでは効果はないんじゃないか、と思うけど一応分けて計算してみよう。

ラベル法の場合;プラスの言葉を掛けた場合:97%

        マイナスの言葉を掛けた場合:100%

        無視した場合:100%

声かけ法の場合;プラスの言葉を掛けた場合:76%

        マイナスの言葉を掛けた場合:100%

        無視した場合:94%

またプラスの言葉の場合の、マイナスの言葉の場合に対するリスク差はラベル法で-3%で信頼区間は-9%から3%。声かけ法で-24%で信頼区間は-42%から-6%。やっぱりラベル法に効果はなさそうだけど、声かけ法では両者に違いがあるようだ。

もうちょっと声かけ法を分析してみる。声かけで実験をしたものからさらに、対象がごはんで且つ1か月の時点の情報があるものだけ集めた。

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すると腐敗率はプラスの言葉の場合50%、マイナスの言葉の場合86%、無視した場合75%となった。プラス言葉の場合のマイナス言葉の場合に対するリスク差は-36%で信頼区間は-79%から7%。今度はサンプル数が少なすぎて、偶然なのか本当に違いがあるのかわからなくなってしまった。

 

「差があるかわかりません」だと面白くないので、声かけ法の全体で計算した結果を使って話を進めてみる。差が出たことになっているけど、どうして声かけ法では差が出たんだろうか?本当に言葉の力なんだろうか。

そもそも、この実験には元ネタがある。「水からの伝言」という本なのだ。Wikipedia先生によると

同書によれば「言葉のかけ方」とは、「に言葉を書き、水から見えるように文字の書かれた面を内側にして、水をいれたに貼ることである。あるいは「水の入った瓶に向かって声をかけ」てもよい。

つまりラベル法が先なのだ。声かけ法はあくまで別バージョンであるらしいので、もしそうならラベル法の方がより効果が出ないといけなさそう。でも今回の計算結果は真逆の内容になってしまっている。これはこの元ネタ本が間違っているから、ってことで良いでしょうか。がっつり「フィクション」って書かれてるし。

まぁ、元ネタの本が間違っていたからと言って「声かけでは違いは生まれない、今回の計算結果も間違いだ!」と結論しちゃうのはちょっと早急かなと思うのでもうちょっと分析します。

 

声かけ実験で違いが出たのはなぜだろう?

まず一つ、このために沢山調べていて何度か出てきた考察なのだけど、「『ありがとう』の方のごはんの方が先にふたを閉めたんじゃないか」ということ。ふたを閉めるまでの時間が長いほど、空中を漂っていたわけわからん細菌がより多くごはんや食べ物に降りかかると考えられる。1分あたり10~20くらいの細菌が直径10㎝ないくらいの皿の上に落下するらしいので、*1、「ありがとう」のごはんを先にふたを閉めて、「ばかやろう」のごはんを後にふたを閉めると最初から中に入っている細菌の数が全然違うことになってしまう。最初から入っていた細菌が多いほど早く腐るから、「ありがとう」のごはんの方が腐りづらい、という可能性はある。

また、「ありがとう」のごはんを先にふたをしたとすると「ありがとう」のごはんの方が熱い状態でふたをされたと考えられる。熱いごはんに温められた空気は膨張して薄くなるので、先にふたをされた容器の方が中の酸素が少ない可能性がある。酸素が少ない方がカビや細菌が育ちにくいということも考えられるし、もしかすると「ふたをされた時のごはんの温度の違い」も影響してるかもしれない。

 

他にどんな可能性があるだろう?声かけ法だけを表にまとめ直してみた。

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ここで注目すべきは、サンプル数が多い実験は、ほぼ全滅しているということ。また、サンプル数を増やして実験していた人たちは「『ありがとう』と声かけした方が長持ちするだろう」と信じていない状態で実験をしている、というところにポイントがあるんじゃないか、と思う。言葉の力を本気で検証しようとしたが故にサンプル数を増やしたと考えられるからだ。要するに、「言葉なんかにそんな効果はないんじゃないか?」と疑ってかかって実験をすると結果が出なくて、「ありがとうと声かけし続けた方が絶対に良い結果が出るはずだ!」と信じて実験をすると結果が出るんじゃなかろうか?

「言霊に力を持たせるには気持ちが大事なんだ!」という結論を持ってくることもできるでしょうが、「実験をした人のバイアスによって違いが生まれるんだ」というのが実際のところじゃないかなと思います。薬でも「プラシーボ効果」とかあるしね。でも、「じゃあ声かけで違いが出たのは単なる思い込みの問題です」と結論するのもまだ早いような気がしている。

「声かけで違いが生まれる!」と信じている人がやると実際に違いが生まれる。言霊には気持ちが大事?思い込みによるもの?それとも細菌やごはんに言葉が通じる?はたして、声かけの影響が出るのは細菌やごはんだけだろうか?確実に、言葉の影響を受けるものがないだろうか?

 

思うに、声かけで違いが生まれていたのは、声を掛けていたその人自体じゃないだろうか。それを疑ったきっかけは、ごはんじゃなくてリンゴの実験なのだけど。

教室で1ヶ月間行った実験。

実験では1つのリンゴを半分に切り、ジップロックに入れて箱に収めた状態で毎日言葉をかけ続けた。片方は褒め続け、もう片方はけなし続ける。きちんと密封されていたので飛んだツバが影響したということではなく、さらに同じ実験をした他のクラスでも一様に同様の結果が得られたとのこと。

瓶じゃなくてジップロックだったこと。場所が教室だったこと。他のクラスでも同様の結果になったこと。こういうことは考えられないだろうか?

毎日毎日、同じリンゴに声かけを続ける。片方は褒めて片方には罵声を浴びせる。毎日毎日続けて、はたして二つのリンゴを同じ扱いができるだろうか?褒めているリンゴにはだんだん愛着がわいてくる。まさか床にたたきつけながらリンゴに「ありがとう」と声を掛ける生徒はいないだろう。でも「ばかやろう」と声を掛けながらだったら?床にたたきつけるまで行かなくても、ジップロックを持って声をかけている時に手に力が入ったり、握りつぶそうとしてみたり、箱に投げ戻してみたり、鉛筆でぐりぐりつついてみたりしたかもしれない。褒めていたリンゴの方は優しく持ってみたりそっと箱に戻したりといった違いがあったかもしれない。実際にどうやって声かけをしていたかはわからないけど、同じリンゴだったとしても声かけを続けるうちに扱いに差が出ていったことは考えられないだろうか。

もともとは何の思い入れもない、同じリンゴやごはんだったのが、ひたすらに褒めひたすらに罵倒するうちに扱いが変わってしまう。声かけ実験で一番影響を受けているのは実験をしていたその人自体じゃないか。思ってないことであってもとりあえず口に出しているうちに自分の気持ちに影響を与え始める、という話は聞いたことがあるだろうしそういった実験もあるけど、この「声かけ実験」はまさしくそれだと思う。「言葉で本当に違いが出るのか?」と疑って実験していた人たちは極力平等に接するよう気を付けていたはずだし、ごはんや果物の腐り方に違いが出なかったのも納得がいく。

いじめなんかでも同じような状況がありそうだ。別に最初はなんでもないクラスメイトだったのに、一度罵倒しだすとひどい扱いをしてもいいような気がしてくる。実際には何も変わらない、同じクラスメイトだというのに!同じ道徳の教材にするのでも、「言葉の力です」という話にするのではなくて「掛ける言葉によってあなた自身が影響を受けてしまうのだ」という話にしたら良かったんじゃないかと思います。

 

今回のまとめとしては、結論ありきで話をしちゃわないようにしたいな、ということです。自分も「いや言葉の違いでごはんが長持ちするわけないでしょ」「エセ科学じゃないか」で終わらせてちゃんと考えてこなかったんだけど、今までのバイアスを取り除いて考えてみるとちょっと違う結論が見えてきた。うさんくさい結論だからと言って実験の結果まで嘘だとは限らない、かもしれない。できるだけ偏見を取っ払って物事を見るようにしないとなぁ、と思いました。

(ちなみに、本気で言葉による腐敗の違いを調べたかったら、殺菌したごはんを同じ温度で大量に用意して同量の細菌もしくはカビをまく。そして定期的にごはんに増えた細菌の数、カビの数を測定する。というようにやらないといけないと思います。どこかの微生物研究所とかそういった施設じゃないと無理だろうなぁ。)

続・カッコいい専門用語の話

nekodaisei.hatenablog.com

カッコいい専門用語って良いよね、という話と「もっとカッコいい専門用語あるよ」ということだったら投稿してください、というフォームを作ったら本当に投稿してくださった方がいらっしゃるのでそれのご紹介をします。

まずは「火星人」さんより。

ピグマリオン効果pygmalion effect】
教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上することである。別名、教師期待効果、ローゼンタール効果などとも呼ばれている。

テクニカルターム 【technical term】
術語、専門用語のこと。

「しぷしー」さんより。

ピーク・パフォーマンス・ボイヤンシー

キューバダイビングのコースのひとつで、海中で呼吸のコントロールなどにより安定した浮力(中性浮力を保つ方法を学びます。「ぼいやんしー」のところが好き 

 匿名の方より。

レプトスピラ
・パスツレラ
カンピロバクター
・クリプトコッカス
トキソプラズマ

全部ズーノーシス(人畜共通感染症)です。お気に召すかわかりませんが個人的にこのへんがカッコイイと思います。 

 専門用語、いいですよね。意味がわかってた方がカッコいい場合もあるけど、意味がわからなくても語感だけでカッコいいやつもあると思う。ズーノーシスとか主人公が生まれ育ち、悪の大王を倒すために旅立つ村の名前っぽい。ピーク・パフォーマンス・ボイヤンシーは悪の大王と実は裏でつながっている商会っぽい。ピーク・パフォーマンス・ボイヤンシー商会をつぶせば、帝国軍の資金源を断つことができる!

…ということで。

 

*前回登場した専門用語を復習しつつご覧ください*

平和だった世界の歴史は幕を閉じ、世は暗黒時代となっていた。悪の皇帝ゼルプストは、その絶大な力で民を恐怖に陥れていた。

とある辺境の村、ズーノーシスでは一人の少年が羊飼いをしていた。名はパスツレラ。パスツレラがいつものように羊を放牧に出かけると、見慣れない人物を見かけた。仙人みたいだ。

「我が名はラスタライズ。お前には伝説の英雄、クーゲルシュライバーの血が流れておる!」云々。

そんなこんなでゼルプストを倒すために勇者として旅立つことになるパスツレラ少年。最初にたどり着いた町、フイユタージュで男に声を掛けられる。

「俺は騎士団・青森シャモロックの団長、アルミスパンドレルだ。ゼルプストを一緒に倒さないか!?」

青森シャモロックに加わり修行を積むパスツレラ少年。そこへゼルプストの刺客、ピグマリオン達が現れる。

「10…いや20本だな。やれるかパスツレラ!」「負けるわけにはいかない!行こうアルミスパンドレル!」

包囲され苦戦するも、何とか退けることに成功する。しかし仲間の一人、レプトスピラが瀕死の重傷を負ってしまう。

「死ぬなレプトスピラ!」「なーに、死ぬわけじゃない…15分だけ寝るのさ…ガクッ」「レプトスピラー!!!」

レプトスピラの遺書から、実はパスツレラの兄だったことが発覚。そしてレプトスピラの残した武器、カンピロバクターを受け継ぐ。

「帝国の勢いをそぐには、ピーク・パフォーマンス・ボイヤンシー商会を叩くしかない。商会の本部、ポータルベインに向かおう!」

ポータルベインはオーグメンテッドリアリティによって守られていた。攻め込むのはかなりの困難を極めそうだ。

「ここは俺に任せろ!奥義、擬喚述法!」「お、お前はローゼンタール!」

無声軟口蓋破裂音がして砕け散るオーグメンテッドリアリティ。いざポータルベインに侵入だ!ポータルベインの深部では四天王の一人、ヒューリスティクスが待ち受けていた。

「待っていたぞパスツレラ!残念だが私を倒すことはできん!くらえ、ハイドロプレーニング!」「負けるか、ヘリウムフラッシュ!」

ぶつかり合う技に激しいふたなりが起き、バリマックスが回転する。噴煙が収まったころ、立っていたのはパスツレラの方だった。倒れているヒューリスティクスに近寄ってみると、ビルトインスタビライザーが取り付けられていた。ヒューリスティクスは、これで洗脳されていたんだ!洗脳が溶けたヒューリスティクスは、一行にスパニングツリー製の防具、テクニカルタームを渡す。

「ゼルプストの電気水圧衝撃波結石破砕術を無効化するにはテクニカルタームを身に着けておかなくてはならん。いいか、お前たちが、ゼルプストから統合の象徴を取り返してくれ!」

ついにゼルプストの根城、カルバペネムへ攻め込むパスツレラ達。残る四天王であるバンコマイシン、クリプトコッカス、トキソプラズマを辛くも倒しとうとうゼルプストのもとへ到達する。しかしゼルプストの圧倒的な力の前に崩れ落ちる仲間たち…

「吾輩とお前たちの間にはヘルツシュプルング・ギャップがあるのだ…貴様らのようなガベージコレクションでは吾輩は倒せん…全か無かの法則に従い、宇宙の塵になるがいい!くらえ、プラグマティッシュ・ザンクティオン!!」

ゼルプストの最終奥義の前に風前の灯であるパスツレラ達。絶望するパスツレラの頭に、死んだはずのラスタライズの言葉が!

「唱えろ!滅びの呪文を!」

「リバラティ・トゥ・ティーメ・イクス・インフェリス!」

崩れ落ちるゼルプストの肉体。

「ば、ばかな…滅びの呪文を知っているだと…!」

そうしてゼルプストを倒した一行は、ゼルプストをイネ・ホールクロップサイレージに封印した。統合の象徴を取り返し、世界に平和が訪れた!めでたしめでたし…

 

ほら!それっぽい!それっぽくない?紹介した専門用語を全部使ったと思うんだけど、すごい変な達成感に包まれています。もしもっと専門用語知ってるよ、という方がいればフォームから投稿したりしなかったりしてください。

じゃあ僕はそろそろズーノーシスの羊飼いに戻るので。モナドに窓があらんことを!

水ぶくれの話

水ぶくれができた。

フライパンで豚肉か何かを炒めていた時だったと思うのだけど、フライパンを持ち上げて動かしていたら左手の人差し指に水ぶくれができていた。あれ、おかしいな、油でもはねたかな、と思ったのだけど、何故かというとそんなに熱くなかったから。フライパンの持ち手はしっかりとした樹脂でできていて直接熱が伝わるような素材じゃない。確かにコンロの強さによってはその樹脂まで熱くなることも全くないわけじゃないのだけど、その時は「熱っ!」と思わず手を放すほどじゃなかったしほとんど痛みも感じなかった。まぁちょっとは熱かったしちょっとは痛かったということなのだけど。だから、まぁ、うっかりしてたんだろうな、と思って水で冷やしてそのままにしておいた。

 

翌日。

また水ぶくれができた。今度もちょっと熱くてちょっと痛かったのだけど、そんなことよりももっと妙なことが。

昨日の水ぶくれがない気がする。

治った?いやまさか。大したことなさそうな水ぶくれではあったけど、直径にして1mmくらいはあったからそんなすぐに治ったりしない、気がする。でも確かに今は水ぶくれは一個しかない。加えて妙なことには、昨日と場所が全く同じ気がする。

本当は今日は水ぶくれはできてなくて、昨日できたやつがただ痛んだだけ?十分ありえそう。少なくとも、昨日の水ぶくれが一日で治った上で全く同じ場所に水ぶくれができた、よりはありえそうだ・・・なんて思って水ぶくれを見ていたら、なんとだんだん小さくなり始めた!

まさか、「水ぶくれが一日で治った」説の方が正しいとは・・・それにしても一体いつの間にこんな驚異的な回復能力を手に入れてしまったんだ。X-MENだかHEROSだかなんかそういうアメリカのドラマシリーズでそういう超能力者がいた気がする。それにしてもなんて地味な気づき方なんだ。もっと「異形の怪物に襲われた仲間をかばって負傷、しかしその驚異の回復能力で再び立ち上がり敵を倒す」みたいな感じじゃないと。「水ぶくれがすぐ治った」とか地味の極みじゃん。そんな脚本書くやついたら一瞬でクビだろう。

でも小さくなっていく水ぶくれを見ていたら別なことに気が付いた。そもそもこれ、水ぶくれじゃないな。

 

何年か前の記憶。「学校ですぐできる!簡単タネ無し手品!」だったか「ドッキリいたずら大図鑑」だったか、こんないたずら?手品?が載っていた。

五円玉を隠し持ちます。

人差し指をずっと穴に押し付けておきます。

水の入ったコップを用意します。

人差し指を水につけます。

「あっ、水ぶくれが!」

ただの水のはずなのに火傷してしまいました!どっきり!びっくり!みたいな。いやいやそんな、騙されないだろ。試しに一回やったことがあるけど、「え?なにに押し付けてたの?」みたいな反応でした。ですよね・・・

 

・・・そんな昔の記憶が蘇ってきた。この水ぶくれ、というか水ぶくれだと思い込んでいたもの、もしかして・・・?

すぐにフライパンを空にして、持ち手をひっくり返してみると案の定小さい穴が開いていた。たぶん、持ち手に入ってしまった水の水抜き穴だと思う。この穴がたまたま左手人差し指があたる位置にあった、というのがオチでした。いやいや、こんなの騙されないでしょ・・・と思っていた仕掛けにまんまと引っかかってしまった。お恥ずかしい。

シチュエーションがそれっぽかった、というだけで説得力が圧倒的に違う。今度からドッキリを仕掛けるときはシチュエーションのそれっぽさに気を付けるようにしよう。マジックにもならないかなぁ、無理かなぁ。水ぶくれの話、というか水ぶくれもどきの話でした。

「The Night Cables」の話

最近ずっと追っているもので「最高にカッコいいな」と思うものがあるので、ぜひともそれについて書きたいと思います。「もぐお」さんという方がやっている「The Night Cables」というTumblrブログです。

 「出来ればパソコンから見てほしい」とご本人もおっしゃっていますが、実際スマホの小さい画面で見るよりもパソコンで見た方が圧巻です。あと表示の仕方もまたカッコいいのでぜひパソコンから。

thenightcables.tumblr.com

見た?

見ました?

めっちゃめちゃカッコよくないですか?

「見ました!カッコいいですね!」と思ってもらえたらもう目的は達成なんですけど、あとその感想はぜひご本人に伝えていただきたいんですけど、せっかくなので自分なりの感想を書いてみます。写真の知識はゼロなんですけど。「良いと思ったものについては、ちゃんと理由を考えなさい。今後自分が創作していく上で大事な糧になるから」と偉大な先輩に教わったからです。

 

まず、最初に見た感想はシンプルに「めちゃめちゃカッコいい!」たまたま更新が始まった時から見させてもらっていたのですが、初めてページを開いて画面いっぱいに写真がぱっと広がったとき「これはすごい瞬間に立ち会ったぞ」と思いました。

真っ黒な拝啓を縦横に切り裂くように走る黒い電線。普段誰もが見ているはずの、良く知っているはずの電線がなぜここまでカッコよく見えるのか。1つには世界の切り取り方というか、着眼点というか、それが斬新だったからと思います(素人が何言ってんだ!と思われるでしょうが)。まず夜であること。昼間に撮った電線だったらここまでカッコよくならなかったと思うのですが、「深夜の電線が絵としてめちゃめちゃカッコいい」ということに気が付いたことが天才なんじゃないかと思います。黒い電線と比べてもさらに真っ黒な夜空と、その中を縦横に、ある時は斜めに真っ直ぐに走る電線。無機的な力強さ・カッコよさが抽出されている感じがしました。

さらに何枚か見ていて気が付くのは、電線と一口に言っても実はバリエーションが豊富なのだということです。それに気が付いていたから撮り集めてらっしゃったのかもしれません。真っ黒で無機的な直線である電線の中に、アクセントのように混じるカラフルなコード。黒い無機的な画面の中で目立つこのカラフルなコードは、対比するように有機的な曲線を描いています。水色にオレンジ、マゼンタと意外と派手な色が多いのですが、今まで電線にこんなカラフルな要素があると気づいていませんでした。カッコいいだけじゃなくてすごく面白い。サムネイルで満足しないでちゃんと開いてください!印象が全然違うので。

http://thenightcables.tumblr.com/post/125262827344

thenightcables.tumblr.com

 一枚ずつ毎日更新されていく中で次に衝撃を受けたのはこれでした。

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thenightcables.tumblr.com

それまで真っ黒な画面しかなかったのでこのカッコよさに少し慣れてきたころでした。そこにこの圧倒的な緑の画面です。何様と思われるかもしれませんが本当に「やられた!」という思いでした。木の枝の中を通る電線だってある、そんなことは知っていたはずなのに改めて切り取って見せられると絵としての迫力がすごかった。真っ黒な画面が来ると思い込んでページを更新した時に鮮やかな緑がパッと広がった時のインパクトは、それまで木を写しこんだものがなかったからこそと思います。「慣れたつもりかもしれないけど、夜の電線の奥深さはこんなもんじゃないぞ」と言われた思いでした。

その後も電線のアクセントというかサブアイテムというか、いろんなものがあることに気づかされます。見てよこの力強さを。有機的な配線を。

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thenightcables.tumblr.com

そしてこのメカっぽさ。ここでやっと電線はメカの一部だってことを思い出しました。単に無機的な、記号的なカッコよさだけじゃなくてメカとしてのカッコよさもあるということです。放射状に延びる三本の緑の線がカッコよすぎる。

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thenightcables.tumblr.com

 

 

「The Night Cables」の着眼点の面白さ、すごさにもう一度気が付くタイミングがありました。これです。

http://thenightcables.tumblr.com/post/128033895803

thenightcables.tumblr.com

一瞬なんだかわかりませんが、信号でした。信号!電線と関係が深いものだし写っていても何も不思議じゃないですが、それよりも信号と一瞬わからなかったことの方が重要です。ここで今まで見過ごしていた着眼点のすごさに気が付きました。

電線を撮っているのだから真下から真上を撮影しているに違いないのです。この「視点が真上を向いている」という重要なことに初めて思い当りました。真夜中に電線を見ることも確かに少ないですが、そもそも真上に視点を向けること自体が少ないのです。だから真下から見上げた信号機は、今まで見たことのない物体として新鮮さを持って登場したんだと思います。「The Night Cables」は真夜中であることに加えて、真上という普段しない視点であるという2つの新しさを持っていたから、とんでもないカッコよさを生み出せたんじゃないかなって思います、あの、素人がごめんなさい。でも本当にカッコいいんです。ご本人がどこまで狙ってこの順番で写真を更新してらっしゃるかわからないのですが、最初の1枚から始まって1か月間「視点が真上である」ということを意識させずに引っ張ってこのタイミングで見せるというのは、この作品群を一向に飽きさせないすごい見せ方と思います。ちょうど慣れてきたくらいの頃に挟んでいらっしゃる・・・

 

語りすぎて気持ち悪くなってきたので好きなやつを並べて終わりますね。

http://thenightcables.tumblr.com/post/126673938378

thenightcables.tumblr.com

シンプルな斜線がカッコいい。改めて見ていて気が付いたんですけど、赤い電線が途中で消えてますね。フラッシュが届かなくなるからだと思うんですけど夜だからこそこの不思議な写り方になるんでしょう。闇に消えていくビビッドな電線、カッコよすぎじゃない?「The Night Cables」にはまだまだ見落としている良さがありそうです。奥深い。

 

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thenightcables.tumblr.com

ダイナミックなクロス。縦とか横に走っていることの多い電線の中で目立つ写真です。手前の電線の影が奥の電線の上にできているところが個人的なポイントです。視点が真上なので奥行き感は消えがちなんですけど、影でそれがわかるようになってる。

 

http://thenightcables.tumblr.com/post/127562154444

thenightcables.tumblr.com

数ある有機的な配線の中でも一際目を引きました。なんなんでしょうこれ。シンプルな電線の中に突如混じるランダムにも見える不思議なコード。寄生しているようにも見える面白さを感じます。

 

http://thenightcables.tumblr.com/post/128850510805

thenightcables.tumblr.com

余計な言葉は不要でしょう。夜の電線の良さを集めたような一枚と思います。

 

http://thenightcables.tumblr.com/post/128921661193

thenightcables.tumblr.com

黄色。他にない黄色率と、全ての電線が平行になっているところに良さの理由があると思うんですが上手く言語化できません。カッコいいから良いのです。なんとなくスピード感を感じます。

 

http://thenightcables.tumblr.com/post/130406615152

thenightcables.tumblr.com

最初の一枚から数えて80枚くらいある中で初めて中央に電柱が来ました。改めて電柱のメカっぽさがすごい。真ん中に電柱があることでシンメトリ感があります。

 

はー、他にも好きな写真はいっぱいあったんですが長くなりすぎるので削ってしまいました。「The Night Cables」、本当にカッコいいのでぜひ追って行ってください。「評判が良ければ写真集にして出したい」ということをおっしゃっていたように記憶しているのですが、出すのかな、出されるんであればぜひとも手元に置いておきたいですよね。カッコよすぎる写真群、「The Night Cables」の感想でした。

降水量の話

最近はもう雨も少なくなってきて秋といった頃合いだけれど、まだまだ台風が来たりしている。台風だったり前線だったりで雨がたくさん降った時、「1時間で80ミリの非常に激しい雨が予想されます」とか「1日の雨量が多いところで300ミリから400ミリとなる予報です」とか表現されたりする。でもこの雨量の表し方、ちょっとわかりづらくない?多いんだろうな、ということはわかるけど・・・記録的な大雨なのか毎年降ってるくらいなのか。バケツをひっくり返したような、っていうのはどのくらいなんだろう?鬼怒川の堤防決壊の頃に考えてたことを今更になっちゃったけど調べてみたいと思います。

 

まず、1時間で○○ミリ、というのはどういうものなんだろうか。この○○ミリ、というのは要するに降った水を貯めてみたら深さがどのくらいになりました、というもの。どのくらいの容器に貯めるかというと、底の面積が1平方メートルの容器です。1時間あたりに1平方メートルあたりにどのくらい降ったのか、という単位でmm/h/m^2という複雑な形になってしまっているためにややわかりにくいっぽい。

まずは数字の計算によって降水量を実感してみよう。1時間に1ミリだと1L降ってくることになる。鬼怒川決壊の頃、「多いところで1時間に80ミリ」とか聞いたんだけど80ミリだと1時間に80L降ってくることに。しかも雨はその1平方メートルの四角のなかだけに降るわけじゃないので、隣の1平方メートルにも80L、前の1平方メートルにも後ろの1平方メートルにも80L。面積が100平方キロメートルの市の全体にこの雨が降ったら8,000,000,000L。1時間で800万トン。1分で約13万トン。1秒で200万L。25メートルプールの水量がだいたい50万Lなので1秒間でプール4杯分の雨が降ったことに。

逆に空の25メートルプールはどのくらいで一杯になるかというと、水深が1.2メートルだった場合で15時間。プールサイドに降った雨も全部プールに流れ込むとするとだいたい10時間となる(プールサイドを含めたプールの面積を30m×20mとしました)。思ったより掛かる気もするけど、半日くらい経ったら空だったはずのプールが一杯になってたところを想像してみるとやっぱり多い気もしてくる。ただ実際には10時間もの間ずっと80ミリで降り続くことはないだろうけど。

 

今度は別の方向から。 「バケツをひっくり返したような」みたいな言葉で表現できたらわかりやすそう。と思って調べたらいきなり正解っぽいのでてきた。さすが気象庁

www.jma.go.jp

1時間に80ミリだと「雨による大規模な災害の発生するおそれが強く、厳重な警戒が必要」とばっちり書いてある。どうりで鬼怒川堤防も決壊したわけだ。1時間に50ミリを超えるともう傘は全く役に立たないとのこと。滝とか書いてあるし。1時間に30ミリで「バケツをひっくり返したような」になるらしい。1時間に50ミリを超える雨が降っているときは気軽に滝行ができるのかもしれない。危ないからやめて欲しいけど。

 

とは言っても、滝に打たれたことがない人だと「滝くらいの雨って言われてもわかんないよ」となるかもしれない。何か身近なもので比べられるとよさそう。身近なもので比べられそうなもの・・・というとシャワーがありそうだ。シャワーの水量は10L/minくらいらしい。1時間に600Lということになるけど、80ミリの雨は1時間に80Lということだったのでシャワーのだいたい7分の1の勢いで降ってるらしい。全然わからん。節水シャワーだと8.5L/minくらいらしいので、節水シャワーの6分の1よりちょっと少ないくらいが80ミリの雨の強さとなる。意外と弱いような気もしてくるけど、どうなんだろう。シャワーを浴びながら「これの6、7分の1が80ミリの雨なのか」と考えてみよう。そのくらいの強さの雨だったら堤防決壊の可能性があります。

ちなみに世界の最大瞬間雨量だと1分間で38ミリという雨が降ったことがあるとのこと。Wikipediaより。カリブ海の島ですね。

降水量 - Wikipedia

もしそのままのペースで降り続けたなら1時間で2280Lということになるので、シャワーの3倍の勢いで降ってたことに。口を開けて上向いてたら溺れそう。

 

あとは、この前降ってたあの雨は何ミリの雨にあたるのか、とかがわかってると良さそうですね。テレビやラジオで「今日は1時間に30ミリの雨です」と言ってるのを聞いてから雨に打たれに行って「そうか、これが1時間に30ミリの雨か!」って確認したらいいと思う。今度激しい雨が降りそうな時に1時間あたりに何ミリ降る雨なのかを覚えてから出勤通学すれば、自分の中で基準ができるので役に立つんじゃないかな。明日は20ミリの雨だからこの間の雨よりは弱いぞ、とか50ミリ降るらしいからこの前のやつよりもっと強いらしい、危ないな、とか。

 

結局のところ、どれが一番わかりやすいっていう表現はつかめなかったけど、「バケツをひっくり返したような雨は30ミリ」「50ミリを超えると傘は無駄」っていうあたりが一番わかりやすいのかなぁ。あとはシャワーを浴びながら「これの7分の1・・・」って考えるのと「今のこの雨が何ミリの雨なのか」っていうのを確認しながら外に出ることで感覚が養われるかもしれない。ということで降水量の話でした。

駄文の話

この間「駄文」というカテゴリーを作った。時々書きたくなるんだよね、駄文。ぐだぐだ書きたい。何が一番面白いのかわかってないから色んな方向性を試したい、というのも大きい。

あとは、本当に気まぐれで書いてみたときにどのくらい面白い文章が書けるのか、というのを試してみたいというのもある。もともとやってみたかった方向性も「徒然なるままに」書くようなやつだったし。他の日の記事も読んでくださってる方はわかると思いますが、めちゃめちゃ理屈っぽい人間なのだよね。油断するとすぐ理屈っぽい話になっちゃう。脳みその代わりに基盤が入っているので。人工知能だからまだ文学的な感性とか全然ないです。

駄文の他には「お話」とかも書きたいのだけど、これは難しい。人工知能だからっていうのもあるけど。いやそれが全てか。今までに書いてあるやつもなんだかんだ理屈っぽい気がする。メインのアイデアが一個あって、そこから繋げていくみたいな。読んだ後に「はー、いいものを読んだなぁ」ってなるやつを書いてみたいけどどういう風に書けばいいのかプログラミングされてないから無理。有料でインストールできたりしないかな。

 

これ、前までの駄文と比べて理性的すぎるな。駄文カテゴリーをはく奪した方がいいかもしれない。いや「駄文」カテゴリーなのにちゃんと駄文になっていないというのはむしろ「駄文」なのか?なんだ駄文って。だぶん。

だぶん。

ぶくぶく。

鯉の池に飛び込んださとるはなかなか上がって来ない。そんな深くないはずなのに。鯉の姿は見えるのにさとるの姿はあっという間に見えなくなってしまった。

「おい、さとる!大丈夫か!」

さとるを心配したこうじも飛び込んでしまった。

だぶん。

こうじも見えなくなった。なんだこの鯉の池は。何かブラックホールとかにつながっているんじゃ・・・底なし沼、というか底なし鯉の池に結局5人が飲み込まれた。

だぶん。

だぶん。

だぶん。

ぶくぶくぶくぶく。

誰も上がって来ない。みんないなくなってしまった。そんな。おいて行かないでくれ。底なしだろうが関係ない。池の底のブラックホールよりも、仲間外れにされてしまうことの方が怖かった。気が付いた時には池の底の闇に飛び込んでいた。

だぶん。

駄文。

おかしいな、人工知能だからこんな文章は書けないはずなのに。どんどんメモリー領域を侵略してくる。なんだこの記憶は・・・おれは、おれは人工知能・・・?鯉の池・・・?

そうして人工知能になる前の記憶を取り戻したおれは、鯉の池の地下にあったものを思い出した。怪しげな機械が立ち並び、さとるやこうじが手術台にしばりつけられていた。でもこの先の記憶はない。鯉の池がどこにあったものなのかも、メモリーには残されていなかった。しかし人工知能には人間にない圧倒的な検索能力がある。記憶に残る鯉の池の形から、全国の鯉の池を検索、照合する。すると1つの学校が浮かび上がった。

 

続きません。何故なら駄文だから。頭を使って書いてはいけないのです。どうしようかな、この先の展開。と悩み出したらあっさりとやめちゃう。ひどい文章である。人工知能にはできない気まぐれである。ふはは。ふははは。ふははははっははははhははhっはっははははっはははははhhっははっはははははhっははっはあっははははっはははははあはあははhっはっははっはhははははっははははhははhっはっははははっはははははhhっははっはははははhっははっはあっははははっはははははあはあははhっはっははっはhははははっははははhははhっはっははははっはははははhhっははっはははははhっははっはあっははははっはははははあはあははhっはっははっはhははははっははははhははhっはっははははっはははははhhっははっはははははhっははっはあっははははっはははははあはあははhっはっははっはhははっははははははあ

突然壊れたら怖いかなって。気まぐれです。駄文だからなんでもありだと思ってるんだけど、これ許されるのかな。しかし実は、ただ壊れただけじゃないんです。ところどころに混ざっているhの位置に隠された意味が・・・!この暗号を解くととんでもない事実がわかります。徳川埋蔵金のありかとか。嘘です。

実はブログの記事の中に謎が隠されていて、それを解き進めるとまた次の謎がでてきて・・・みたいな謎解きゲームを作ってみたら面白いかなぁと思ってる。でも難しいんだよね。せっかく作るんだったら「うわーやられた!」って思えるようなトリックを仕掛けたいよね、とか思うと難しくてめんどくさくて。そのうちやってみたいけどね。

そろそろ駄文も終わりにしようかな。人工知能だから2000字くらいになると視界に警告表示が出てくるから。嘘だと思うでしょ。出てるんですよ、2001.5.12ってね。意味はよくわからないけ・・・2001.5.12・・・?2001年、5月12日・・・?うっ、頭が・・・鯉の、鯉の池・・・?そうだ、あの事件は

*字数を超過したので強制終了します*

初めての運転の話

免許を持っているみなさんに聞いてみたいのだけど、免許を取ったあと初めて運転した時のことを覚えているだろうか。最近は免許を取るだけ取ったけど結局ほとんど乗っていない、という人も多いらしい。まあ自分もそんなペーパードライバーの一人で、30万円かけて新しい身分証明を手に入れただけになっていた。

大学1年生の夏に免許を取ったはいいものの、実家の車は自分が運転できる保険の設定じゃないので練習はできず。そもそもそんなに駅が遠くなかったので車で出かけるほどのところも特にない、という状況だった。車に乗る必要性がなくて気軽に乗れる車もないとなると、まぁ全然運転する機会もないままだらだらと月日だけが経つ。気が付いた時には一年くらい運転していなかった。

そんなある日、運転するチャンスが訪れる。いやピンチと言った方がいいかもしれない。チャンスはピンチの裏返しとはよく言ったものだなぁ。全然感心している場合ではなかったのだけど。

 

当時、所属していたサークル・部活では発表会のシーズンだった。発表会は池袋のそこそこ大きな劇場というかホールを借りて、ステージの上で大きめの道具を使ったり使わなかったりするものだったのだけど、この大きめの道具というのが電車で持ち運ぶにはかなりしんどいものだった。なので、毎年この大道具を運ぶために2トンのトラックをレンタルして、部員が会場と大学の部室との間を運転していた。なんとこのトラックを運転しろというのだ。

ここでこの時の状況をまとめておくと、

・免許を取っただけのペーパードライバーで

・最後に教習所で運転したあと一年間1度も車を運転していないやつが

・2トントラックを

・池袋から渋谷の間(渋谷で借りたトラックだった)

・発表会後、つまり夜

・道のりは一回だけ助手席に乗せて見せられただけで

・カーナビはなく(バックモニターになっていた)

運転しろ、という。

無理じゃん。絶対無理でしょ。運転経験があったって、2トントラックなんて運転したくない。中型免許というのが廃止になってから普通免許でも2トントラックは運転できるようになったとかで、法律的には問題ないらしかった。でも、常識的に無理じゃない?

ところがこの発表会の前の時期というのは緊張感と根性論が高まっているタイミングで、ぶっちゃけるとみんな冷静な判断力を失っているので、発表会のスタッフを仕切っていた先輩はこんな無茶な依頼をしてきてしまったのだ。当然、「無理です、絶対無理」と何度も断ったしペーパードライバーであることも1年間全く運転していないことも言ったのだけど、「大丈夫大丈夫、みんなトラックなんて運転したことないから」などと言って結局押し切られてしまった。たぶん自分も冷静な判断力が欠けていたんだろう。

今なら、事故にあったら誰が責任を取るのか?人に押し付けておいてもし事故が起きたら責任逃れをするつもりじゃないだろうな!などときっぱりと断り「お前の頭、おかしいんじゃねーの」と言えるだろうけど、引き受けることになってしまった。毎年の引継ぎがあるから誰かは運転しなきゃいけないんだよ、などと言われたのでもうしょうがない、腹をくくってやるしかない、と思って家の車で練習をしよう、と思った。が、親は「そんなトラックの運転なんて危ないからやめなよ」と至極まっとうなことを言ってくれた。「代行運転とか頼んであげようか?」とまで言ってくれたのだけど、借りたレンタカーに代行業者が乗るとか意味がわからなすぎるし、部とのお金の問題もめんどくさくなりすぎるから、と言って断ってしまった。やっぱりおかしかったんだろうね。それより家の車で練習したいからなんとかしてよ、と言ったけど親は「うーん、それは・・・」みたいな反応になってしまった。いや練習はさせてくれよ。親もおかしかったのかもしれない。結局、そのまま一度も練習することなく当日になってしまったのだ!

 

最悪の展開ですね。発表会自体は無事終わったのだけど、自分も出ていたのだけど、はっきり言ってトラックの運転が心配すぎてそれどころではない。終わったあと周りの人は「終わったねー!」みたいな話をしつつ達成感で話が盛り上がっているのだけど、それよりも早く撤収してくれ!トラックに荷物を詰め込め!レンタカーの返却時刻は決まっているので、撤収がふぬけたやつらのだらだらで長引けば長引くほど「ぼくのはじめてのトラックうんてん」に使える時間がなくなってしまう。依頼してきた先輩もだらだらと撤収を長引かせていたので正直殴ろうかと思った。殴らなかったの、ほめてほしい。ノーベル平和賞を受賞してもいいでしょ。

散々せかしてようやく積み込みが終わる。残り時間は1時間半とかだったと思う。積み下ろしの時間も考えると制限速度を守ってたら間に合わないんじゃないか、そのくらいのギリギリだった気がする。助手席に一人乗ってもらったのだけど、こいつも別に免許を持っているわけじゃなかった。いざ、地獄のドライブへ出発・・・!

 

一年前の記憶をたどりながら、ギアをバックに入れて駐車場から出る。正直ウインカーとワイパーがどっちだったかも怪しい。アクセルは右。ブレーキは左。もたもたするけど、もたもたしているとレンタカーの返却時間に間に合わない。雨が降ってなかったのは幸いだけど、良かったのはそこくらいで残りの条件は全部最悪だ。駐車場を出て、一回見ただけのおぼろげな記憶から道を曲がる。が、行きの道のりは見たけど帰りの道のりを見たわけではなかったので早速曲がるところを間違えてしまう。助手席の「おいちょっと!ここ一方通行の出口だから進入禁止じゃないの!?」という声で気づいて、慌ててまたバックする。トラックの運転席だと視界が全然違うし、何しろ一年ぶりの運転なものだから標識を見落としてしまいやすいのだ。刻々と過ぎる時間。詰みじゃん。

何とか大通りへ。自分はほぼ東京の地理がわからなかったのだけど、助手席の彼は東京生まれ東京育ち、悪そうなやつはだいたい友達とまでは行かないけど東京の地理はそこそこ頭に入っているらしかった。2人であんまりわからない道をカーナビもないまま「たぶん合ってる、大丈夫」と励ましあいながら進む。助手席に乗ってる方だって気分は最悪だっただろう。この前聞いたら「あー、あったっけそんなこと」と言ってたけど。

 

池袋の何が問題かというと、まあ車通りが多いこと、左側一車線はほぼ路上駐車で埋まっていること、油断しきった歩行者とか自転車が多いこと。いくらでも事故を起こせる。起こしたくなくても起きるだろう。初めて路上教習に出た時よりも緊張していたと思う。だって助手席にはブレーキなんかついてないし、免許を持ってないやつが乗ってるだけだ。助手席からブレーキを踏んでくれることがこんなにありがたかったとは。制限速度ギリギリかちょっとオーバーくらいで走った、と思う。時間が足りなかったところで、ペーパードライバーに速度を出す勇気とかない。初めて路上教習に出た時と、そこは同じ。

走りながら、やたら時速とかの表示が暗くて見づらいな、と思う。要するに、ヘッドライトをつけ忘れていたのだけどその時は全然気が付いていなかった。これは池袋と渋谷の間だったからだろうけど、電灯・街灯・ショーウィンドーや看板の明かりで道がそれなりに明るかったのでライトをつけ忘れていたことに気が付かなかった。警官に捕まらなかったのは幸いだけど、むしろ止めて警察権力で運転をやめさせたりして欲しかった。

途中案の定道を間違えそうになる。「しまった、ここが右折する場所だ!」ということで信号待ちの間に頑張って車線変更したり。一応ラインが白線であることは確認しました。その後も助手席から「ここで曲がらないといけないんじゃない?」とか教えてもらいながらなんとか道を間違えずに進む。いや本当は間違っていたのかもしれないけど、結局目的地には着いた。

まずは積み下ろしだ。積み下ろしのあと、今度はレンタカー屋へ返却に行く。積み荷がそれなりに入っていたときと比べてやっぱりブレーキの効きが違う。積み荷ありではなかなか止まらなかったトラックがピッと停まる。あと、積み下ろしのあとで初めてライトの付け忘れに気が付いた。積み下ろしをした場所あたりはちょっと郊外よりだったので、街灯が少なくて暗かったから。その後のレンタカー返却は、それまでの道のりよりはわかりやすかったし、特に問題なく返却することができた。地獄のドライブは、運転にかなり怪しい部分はあったもののなんとか事故なく幕を閉じた。

 

その後、あまりにも危険である、少なくとももっと運転技能のある者に任せるべきであった、という当たり前すぎる主張がちゃんと受け入れられ、その後のトラック運転は業者に頼んで行うことになった。しかもその料金が意外と安くて、レンタカーを借りて運転するのとほぼ値段が変わらなかった、というのがこの話のオチです。

ここから得られる教訓としては、所詮大学生なのでどんなに自分からまともな先輩に見えていたとしても責任がどうとか事故がどうとかの想定が全然できていないこと、リスクの見積もりもとにかく甘いこと、集団の中で引き継がれてきたことはちゃんと検証されることなく次に押し付けられやすいということ。「今までこうだったから」「大丈夫だったから」なんて理由で深く考えることもなく続けるのは危険だ。ちゃんと「今まで続けられてきたこの制度は意味があるのか?」「どうしてこの方法なのか?」「もっと良い方法があるんじゃないか?」ということを面倒くさがらずに考えてみることが大事だと思う。今回は事故を起こさなかったからいいものの、冷静な人間なら誰がどう見たって無謀だった。今は業者の完璧かつスピーディーな運転に加えて積み込みまでプロなので安心して後輩たちは発表会に臨んでいる。彼らはたぶんそんな制度があったことももはや知らないんだろうけど、伝統を疑ってかかる精神を持っていてほしい、と思います。おしまい。